「君は、発症していないんだったね?」
再三の確認を厭う素振りも見せずに、女は頷く。
そして、常套句のように淀みなく言葉を紡ぎだす。
「私が元いた世界にはなかった病気なかったのか、既に私に免疫が出来ていたのかは解りませんが……、私は、発症する兆候がまるで見られません」
――このことがより、鷹通を憤らせるのだ。
発症もしていない人もいると言うのに、生きた人間ごと焼き払ってしまうのか、と。
けれどもそれは理想を追う者の言い分にしか過ぎず、現実はもっと切実なものであるのだと女は知っていた。
だから、鷹通が何かを言う前に口を開く。
「けれど、感染していないとは限らない……いいえ、此処に棲んでいる以上私は限りなく“感染者”です。……感染者を、封鎖区域から出すことはあってはならないのです」
それは暗に、「助ける必要はありません」と言っているのと同じだ。
数年前に龍神の神子としてあれ程朗らかに愛らしく笑っていた少女は、二人の本当の目的が己を助け出すものだというのを悟れるほどに大人になっていた。
「夫が……、イノリは、既に病床に臥しています」
静かに紡がれだした言葉に、黙り込むしかなかった。
故意に目を背け続けていた事実は其の妻である女の唇から零れ落ちる。
「発症していまった以上、イノリは此処を離れられません。大切な“家族”を残してはいけません」
イノリは恐らく手遅れだろう。
そういった想いが嘗ての仲間達の胸にあり、その辛い現実から目をそむけようとし続けていた。
若しかすると、発症していないかもしれない――そんな淡い期待を抱きながら。
けれどそんな甘えを見透かしたように、はっきりとした声音で凛と謳う。
其れは何と言う強さだろうか。
「君は……綺麗になったね。いや、もうそんな言葉では追い付かないかな……」
何の含みも裏もなしに、友雅はそう零した。
それが真に偽りのない言葉であったから、女も微笑み、礼を告げる。
やがて、深い深い溜息を吐き、鷹通も諦めがついたようだった。
「永泉様も本当は君に逢いたがっていたのだがね」
軽く言葉を流すように、友雅は語る。
其れを聞いて少しだけ、あかねは懐かしそうに目を細めてみせた。だが、口から出たのは懐かしむ言葉ではなく、淡々としたものだった。
「其れは無理、ですよね。先日、泰明さんの式が来て、教えてくれました。……お二人だって本当はこんな所に来るのを許して貰えるような身分ではない筈なのに、すみません」
謝る姿からは一体何を考えているのか読み取れず、少なからず困惑を招かれる。
掛ける言葉のない鷹通に対し、ゆっくりと友雅が口を開いた。
「……少しだけ、言い訳をさせてくれまいか。最終的にこの決定を下したのは確かに帝だ。だが……」
「帝の御意志ではない――ですか? ふふ、大丈夫です。解っていますよ。今回のことは誰も悪くないんだって」
敢えて悪を探そうとしたならば、見つかるのは“病気”というものだけだろう。
これは最善の判断ですと言わんばかりの口調だった。
「焼き打ち……焼却処分というのも一番適切な判断だったと思います。人々が死に絶えても、大地が生きている以上汚染が広まらないとも限らない……。人がこれ以上死ぬのはいやですし、それにこれが鬼の仕業だと悲しいことを言いだす人が現われる前に、ここで終わらせなくちゃならないことなんですよ」
……このような時にまで他者の心配をする女は、恨み言などひとつも無いように笑った。
「……あかね殿は、死ぬのが恐くないのですか……」
辛さに耐えかねるように、低く押し殺した声で鷹通が問うた。
かつて仲間として過ごし、見守ってきた二人を一遍に失くすことは悲劇以外の何でもない。
だのに目の前の女性は笑うのだ。……ひたすら、穏やかに。
「んん、やっぱり死ぬのはいやですし、恐いですよ。でも、私は“イノリくん”といられて一生分の幸せを味わえたし、こうやって私達のために悲しんでくれている人がいる。……置いていく側の言い分かも知れませんけれど、それって凄く幸せなことですよね」
まるで昔に戻ったかのように、あかねは笑う。
そうして、緩やかに立ち上がり、裾を軽く整え出した。
「それじゃ、私そろそろ戻ります。お二人も早く戻って下さい。余り長居していると、……良くないと思いますから」
そう言い残し立ち去ろうとしたのを友雅が呼び止め、布の袋を手渡した。
「……最近では余り美味しいものも手に入らなかっただろう? 穀物と――果物だ。イノリにも食べさせておあげ」
ぱち、と不思議そうに瞬きをした後、あかねは晴れやかに笑った。
――あの頃と、寸分変わらぬ一点の曇りもない笑顔で。
「有難う御座います。帰ったら直ぐ食べますね」
一度大きく頭を下げ、女は二人の前から姿を消した。
その後ろ姿を見送った後も、二人は暫くの間、やるせない気持ちが込み上げその場から動けなかった……。
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