二人が訪れてから数日が過ぎた。

 否、数日と言う表現は適切ではない。

 今日はあの日より五日、経過している。

 其れは詰まり。――今日が終焉の日である事を示していた。


 思えば何時頃に実行するのかを聞いていなかった。

 あかねはそう考えながらも、気にしても仕方のない事かと床に臥せたイノリの傍へと近寄った。

「イノリくん、具合は如何?」

 先日、二人の前ではイノリの妻として振舞ったが、実際当の本人と二人の時には出逢った頃のままの調子で話す。

 其の言葉に反応するように僅かに身を起こそうとした肩をそっと押し留め、あかねは首を横にと振った。

「無理しないで、寝てて」

 ――数年の時を経て変わったのは、あかねばかりではなかった。

 イノリは昔の面影を残しつつも今となっては立派な青年に成長していた。

 そう、病床に臥している今でさえその事は窺え見える。

 あかねは友雅と鷹通と逢った事を伝え――その理由も、イノリに伝えていた。

 隠し事はしたくない。

 其れはある意味酷く残酷なもの。

 イノリは、自分の命が既に尽きかけていることすら知っている。

 ――この病の唯一の救いは、何の苦しみも痛みも無く、安楽死のように息を引き取れるということ。

 あかねはいっそ、此の日を迎える前に病死した方が、一体どれだけ楽だろうかと思ったこともあった。

 生きたまま焼かれる苦しみは、想像することすら出来ないのだから。

「……悪ィな、あかね」

 溜息のように洩れ出た謝罪に、あかねは再び首を横へと振った。

 何を謝ることがあるの、とそう伝えるように。

「私、何一つ後悔してないよ。たとえどれだけこれが人の目に悲劇と映ろうとも、……私は幸せだった。ううん、今でも十分幸せ。最期までイノリくんの傍に居られる」

 そっとイノリの痩せた手を包み、己の頬に当てた。

 たとえどれ程細くなったとしてもその手は紛れも無い、職人の男の手。

 ……この手が、とても好きだった。

「――本当なら、オレ、お前に逃げろって言うべきだったんだ」

 その言葉に、一瞬あかねの動きが止まった。

 其れは一番恐れていて、一番聴きたくなかった言葉だ。

 結末を話した時、イノリは何も言わず「そっか」と呟いただけだった。

 なのに、こんな時に言わないで。あかねは切に願う。

 だが、イノリの口から洩れたのは、予想とは違う言葉だった。

「でも、可笑しいよな、オレ。……嬉しいとか、そんな事すら思っちまうんだ。……お前を残していかずに済む、死んでも、お前と一緒にいられる。……死ぬことすら、お前と一緒なら怖くねぇって、そう思えるんだ……」

 あかねは泣きたくなった。

 苦しい死に方でも、自分と共に死ねるのならば、其れが良いと言ってくれるのか。

 だいすきと言う言葉の変わりに、ぎゅ、と其の手を握り締めた。

 死の瞬間にも、二人が離れる事はないように。

 ――パチパチと、火の爆ぜる音が聞こえ、徐々に空気も熱を帯びてきた。

 恐らく此処まで火の気が及ぶのも時間の問題だろう。

 より一層、手を強く握り合いながら、二人は微笑み合ったのだった――。


 焼け野原と化した一体を遠くから見下ろすように、小高い場所に二つの影が立っていた。

 先日訪れたものとは違う、其れでも共に“八葉”と呼ばれた者達――永泉と、泰明だった。

「このような場所からでしか、供養もできないのですね……」

 憂えるように呟きを漏らす永泉に対し、泰明の方は少しも動じず、静かに焼けた地を眺めている。

「……あそこに、恨みの声はない。此れも神子の力か……逆に清浄さすら感じられる」

 確信を持った言葉だった。

 否、陰陽師の男が紡ぐ言葉を、疑うことなど永泉はすまい。

 曇りがちだった表情を僅かに持ち上げ、目を細め、生前二人が住んでいたであろう辺りを見据えた。

「彼らは、幸せだったのでしょうか……?」

 不意に洩れた永泉の呟きを聞くと、泰明はその横顔に視線を移す。

「……今ならば未だ聞けるやも知れぬ」

 其れが一体如何いう仕組かは解らなかったが、何らかの呪によるものだと思い、――結局、永泉は首を横に振った。

「……いいえ、そっとしておきましょう。……二人が幸せであったか如何かは、きっと二人さえ知っていれば良いのですから――」

 其の言葉に、泰明は答える事なく再び視線を焼け地に戻す。

 ――暗闇が世界を閉ざすまで、何時までも、何時までも、二人は其処に、立ち尽くしていた――。





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