考えた事もなかった。

 私と知盛と、越えた時空に差があったことを。

 喉が渇き、こめかみを一筋の汗が伝う。

「何を驚いている……? 知っていたんじゃぁ、無かったのか……?」

 戦場とは思えぬ程の悠然とした口振りに、今の状況を忘れそうになる。

「何をしている! 気を抜くんじゃない!」

 九郎さんの叱責に目が醒めたように力を込め直した。

 知盛を守るように、平家の軍勢が集まってくる。

 其れを薙ぎ払うように剣を振るいながら、私は知盛から視線を逸らせなかった。

 少なくとも、嘘偽りを言っている風には見えない。

「逢いたかった……と、この場合は言うべきか」

 剣を向けられていながらも斯様に悠然と構える姿は、何処か空恐ろしくあった。

 時空のズレは、知盛にどのような作用を起こしたのか、それを計り知ることはできない。

 こんな事になるだなんて、思わなかった。

 ……逆鱗を持っていない知盛の居る時空へと、飛ばされてしまったかもしれない。

 その可能性は高かったのかもしれない。

「やり直しているのなら、どうして……!」

 こんな人が多く死に逝くような運命を進むのだろうか。

 何故、皆が助かる道を選ばないのだろうか。

「知れたこと。お前と同じ事をやっているまで」

「……同じ……?」

 戦場に、兵士の呻き声が響く。

 血を流し、地に這いつくばり、それでも、戦わなければならない哀れな兵隊。

 自分を正当化するつもりはないが、私は、そんなものを望んではいない。

 私は、皆が死なない世界を作りたい。

 だのに、何故知盛は同じだと言うのだろうか。

「解らん、か……?」

「っく!」

 気付くと敵兵に周囲を囲まれていた。

 技力を持っているが故に一見対等に渡り合えているが、実際には此方は不利だ。

 九郎さんも、先生も、私も。

 一人の人間にしか過ぎず、敵の数が圧倒的に多すぎた。

「還内府は未来を知っていた。だからこそ平家を助けるために常に不可解な事を言っていた……」

 平家の兵に任せておけば自分の身は安全だと言うのに、知盛は私に向けて剣を降りかかってきた。

 尖った剣を己の剣で受け止める。

 一本を相手にしている間にもう一本の剣が脇腹を抉ろうと襲い掛かってきた。

 其れを寸での所で避け、息を飲み込んだ。

 ――あの夜、剣を交えた時よりも格段に強くなっている――。

「逆鱗を手に入れ、漸く悟った。……お前も、平家に負けぬようにしたのだろう……?」

「……ッ! それの何処が……知盛と同じだと言うの!」

 知盛の行動は、平家を生かす為の策だとは到底思えない。

 もっと上手いやり方がある筈だ。

「同じだ。結局は、運命を狂わせている……」

 本来あるべき道筋から随分と掛け離れた所に立ってしまっている。

 既にそうであるのならば、いっそのこと、何処までも自分が望むままに動けば良いと、そう思ったのだろうか?

「神子。気を散らしてはいけない」

 何処か焦りを帯びた先生の声が聞こえる。

 会話を交わしている暇など本当は無かったのだ。

「さぁ、神子殿……愉しませてくれよ」

 知盛は他の二人には一切の興味を示さずに、真っ直ぐに私に向かって来た。

 火花が散りそうな程に激しい刃同士の擦れ合い。

 相手に剣を立てようとしては弾かれ、そうしてまたその逆を繰り返す。

 知盛にとっても苦戦の筈なのに、ただ彼は悦に浸っていた。

「そうだ。……待っていたのは“お前”、だ……。今まで幾人の“神子殿”を相手にしていてもこれ程の満足は味わえなかった――」

 狂気に満ちたような声。

 ……知盛は、何度も、何度も“私”と戦ったのだろうか。

 知盛を、救えなかった“私”と。

 そして、今の“私”をずっと待ってくれていたのだろうか……?

「何度切り裂いても、何度屠ったとしても、お前と剣を交えたあの夜に得た感覚を得る事は、出来なかったよ……」

 ―――――。

 わかって、いた。

 彼が私を追っていたのは、純粋なる闘心であったということ。

 でも、実際に聞くと、其れは……何とも苦しいものだった。

「……ならば、討ちなさい……私を。……私は……貴方と戦った“源氏の神子”は、此処に居る!」

 剣でしか語る事が出来ないというのならば、幾らでも相手になろう。

 多くの人々を犠牲にした知盛の遣り口を赦す事は出来ぬのだから。

「はァ!!」

 揺らいでいた決意も、此処に来て漸く固まった。

 恐らく知盛は本気で此方を討ちに来るのだろう。

 知盛の胸を狙い、身を低くして切り込んだ。

 其れを防ぐように知盛も剣を構えるが、それを押し込む勢いで渾身の力を込め、踏みとどまる。

「良い眼をしている……」

 知盛のその余裕を打ち砕くように、一瞬手を緩めると、浮いた剣の隙間に捻じ込むように剣の先を突き立てた。

「ぐっ……!」

 低く呻く知盛の声。

 何度も聞いた、苦しそうな、声。

 その度に私の胸は痛んでいたけれど、今は気持ち悪いくらいに冷静だ。

「……浅いっ!」

 切った感触から解った。

 致命傷には及ばない、表面を掠めたのみの太刀だ。

 距離を置くように離れる知盛を追うように足を向けた所で、平家の兵が叫んだ。

「知盛様! 前衛が源氏の軍によって乱されました! これ以上の進軍は無理です!!」

「景時達か……?」

 九郎さんの声が聞こえ、活気を取り戻した源氏の軍達が勇猛にも平家に立ち向かっている事が知れた。

「潮時、か」

 低く、そう呟いたかと思うと知盛はすっと剣を下げ、退陣の命を出した。

「逃げるの!?」

「……愉しみはとっておくものだろう?」

 無闇に突っ込んで来ないのは、将としては正しい行為。

 しかし、今は倒して行った方が形勢が楽になる筈なのに。

 愉しみ、というその言葉に、偽りはないのだろう。

「待ちなさい……!」

 速やかに撤退する平家の陣の後を追おうとした時、先生の声が掛かった。

「神子、深追いしてはいけない」

 静かな、それでいて有無を言わせぬ言葉に、肩の力がすぅーっと抜けた。

 此のまま敵陣に単身突っ込んでいったとしても無駄死にをするだけだ。

「……はい。すみません……先生」

 宇治川での戦は、此れで終わりを告げた。

 ただ、討つと言っていた知盛を易々と逃がしてしまったことが、私の胸に重く圧し掛かっていた――。




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