源氏の兵達は、突如として現れた白龍の神子と言う存在に最初こそ戸惑いはしたものの、直ぐに天が自分達に味方したのだと希望を抱いた。

 一時、持ち直す事すら不可能とすら思われていた軍勢を整えるだけの何かをその神子は持って居た。

「怪我をした人の治療を優先して下さい。無闇に向かって行っても向こうは此方の手の内を読んでいる筈ですから危険を冒すだけです。自分の身を護る事だけを考えて、持ちこたえてくれたら、後は、大将殿と私が何とかします」

 瞬く間に士気が高まっていく様子を見た時、九郎は勝機が見えたような気がした。

 あれほど迄に負けを受け入れていた兵達が、今では一筋の希望を見出している。

 こんな不利な状態の時に現れた神子という存在の姿に、偶然にしては出来すぎた奇跡だと口にしたのは誰だったか。

 そういわれる程に、白龍の神子という存在は強大だった。

 普通の、華奢な少女にしか見えぬのに目覚しい働きぶりを見せている。

 最初からその姿を見せつけられている者達は其れが当たり前だと思っていたが、唯一人、疑問を感じた者も居た。

 其れは、同じ世界より召喚された一人の青年――。

 今まで傍で見てきた筈の幼馴染の突然の変貌に、戸惑いを隠せずに居た。

 別人のよう、とまではいかない。

 けれど、今の少女はまるで磨かれた怜悧な刃物のような鋭さがある。

「――先輩、何故……」

 一体何があったのですか、と。

 問い掛ける声は途中で止まった。

 そんな譲の姿を、望美はただ静かに一瞥しただけ。

 望美は何も語らない。

 話したとて、容易に理解されるようなことではないのだから。

 幾度となく運命を書き換えていた中で、何時しか身についた戦略の知恵と機転。

 瞬時の判断で動く姿は歴戦の古つわもののようですらあった。

「弁慶、傷ついた兵達の治療を頼む。……景時、この場の指揮を任せても良いか?」

 細かな指示を九郎がよどみなく飛ばして行く。

 その瞳には生気がきっかりと戻って来ていた。

 指示を受け、二人が了承したのを確認してから九郎は真っ直ぐに望美の方を見遣る。

「俺は此れより敵を討ちに行く。……お前も来るのだろう?」

 この九郎にとってみれば、出会ってからまだ数刻しか経っていない。

 だが、其処には既に確固とした信頼が生まれていた。

 兄弟弟子だからと言う事ではない、戦場を生きる者同志としての、絆。

「勿論です。この力は唯、敵を討つ為に」

 強い光を放つ瞳を九郎から逸らす事無く言い切る。

 其れを聞き、九郎は些か表情を緩め、今度は望美の背後に居たリズヴァーンに視線を向けた。

「先生も来て下さいますか」

「無論」

 後は周囲を固めさせれば攻め入る事も容易。

 そう判断した時、望美はある事を口にする為に振り返った。

「譲くんと朔と白龍は、此処に残っていて」

「! 先輩ッ。……いえ、……解り、ました……」

 咄嗟に何かを言いかけ、声を荒げるようにしたが、直ぐに俯き言葉を飲み込んだ。

 譲は、今までを見てきて悟ってしまったのだ。

 今の自分では足手まといにしかならない、と。

 自分にも先輩を護れるだなんて、そんな思い上がりすら出来ない程に、今の自分と目の前の人物とには差が存在していた。

「望美、気をつけてね…」

 同様に其れに気付いている朔と白龍も、ただ心配そうに望美を送り出すことしか出来ない。

 そんな彼らに、望美は心配いらないと言うように優しく微笑みかけたのだった。

「大丈夫」

 些細な言葉、それだけだったのに。

 大丈夫という一言はとても力強くて、聞く者の心を安心させる響きを持って居た。

「何時までも此処に留まる理由はない! 動ける者、腕に自信のある者は俺に続け!」

 軍勢を奮い立たせるような九郎の言葉に、兵達は声を上げた――。




 其れまでの勢いが嘘であったかのように、激しい反撃に乗り出した源氏に平家の兵はたじろいだ。

 その隙を見逃す訳もなく、源氏の兵は平家の軍勢を乱しに掛かる。

「一気に攻め込むぞ!」

 果敢に攻め続け、心身ともに疲弊しながらも、形勢は甲乙つけ難いものになるまで押し返していた。

 汗が流れる額を拭い、九郎は大きな息を吐く。

「平知盛は何処だ――?」

 兵達の疲労もピークに達している。

 早く決着を付けなければという焦りが、九郎を包み込んでいた。

「居ました! 平知盛です!!」

 源氏の兵が叫ぶ。

 だが、叫ばずともその訪れは直ぐに知れる事となった。

 源氏の兵達の叫び声が徐々に広がっていっていたからだ。

 知盛が一薙ぎ剣を振るう度に鮮血が散る。

 其れを鎧に染みこませながら、知盛は笑っていた。

「――知盛ィ!!!」

「待ちなさい神子!」

 運命を大きく狂わせた男を目の前にし、リズヴァーンの制止の声も聞かずに望美は剣を構え知盛に切りかかった。

 慌てる風でもなく悠然と望美の剣を受け止める知盛の動作は滑らかで、己に向けて剣を放った相手が誰だか知ると愉快げに笑ってみせたのだった。

「これはこれは、勇ましいお嬢さんだ……」

 ぎちぎちと刃をあわせ乍、渾身の力を込めるものの男の力に勝てるわけもなく、ガキンと音を立てて弾き返される。

 それだけでも、望美は思い知らされる事となる。

 ――以前に剣を交えた時より、確実に強くなっている。

 つぅ、と汗がこめかみを伝い、流れ落ちる。

 頭に血が上り、知盛に切りかかったのが嘘のように今は頭が冷え切っていた。

「……逆鱗を使い、運命を変えたのは、知盛だね…」

 詰問するように紡がれた言葉に、流石の知盛も驚いたようだった。

 しかし、それも直ぐに歪な笑みへと移り変わる。

 押し殺したような低い笑い声は、やがて大きくなり戦場に響いた。

「……何が可笑しいの。知盛」

 知盛をねめつけると、漸く笑いを抑えるように知盛は口元に手を当てて、斜に構えるように振舞った。

 ……そして、続いて紡がれた言葉に、望美は言葉を失う事となる。

「……そう、か。お前は…“逆鱗を俺に渡した神子殿”か」

 其れは、知盛が逆鱗を使用したのが、此れが初めてではないのだと示していた事であった――。






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