「先生」

 そっと呼び掛けながら、簡易に作られた寝床に居る先生の元を訪れた。

 怪我をしているというのに、上体を緩く起こしている。其れは私を待っていたからなのだろうか。

 一見するとその風体は休んでいるようにしか見えない。

 だが、そんな筈はなかった。

 先生の右腕は、肘から下が存在しない――空虚なものだった。

「先生、寝ていてください」

 話がし易いようにと近づきながら、楽な体勢で居てくれるようにと先生に懇願する。

 けれども先生は、其れを拒んだ。

「神子、そのような顔をしてはいけない」

 そんなに、私は情けない顔をしていたのだろうか。

 先生に、見咎められる程に?

 本来ならば、私が先生を気遣わねばならないのに、逆に気にされて如何するというのか。

「……私は、鬼だ。常人とは違う。此の程度、何の差し障りもありはしない」

 嘘。そんなの嘘だ。

 あの時先生は痛そうだった、苦しそうだった 死んでしまうかと思った!

 私を心配させないように、私を気遣って言った台詞であることくらいは直ぐに解った。

 何の為――?

 そんなの、解りきったこと。

 此の惨劇の全ての元凶は私にあるのだから。

「……ごめんなさい、先生」

 先生の傍らに膝をついた瞬間に、口から出たのは謝罪だった。

 謝って赦されることじゃない。

 其れでも勝手に唇から零れ落ちてしまった。

 嗚呼、でも 先生は

 ……先生は、きっと、私を赦してしまう。

 今迄だって、何をしたって。

 先生は何時だって、私を助けてくれた。

「神子、謝る必要はない。私が自ら望み、残った。そして、平知盛と対峙した。――私の力が及ばなかった、それだけだ」

 ほら……、やっぱり。

 私が悪いの。知盛に逆鱗を渡してしまったから。

 先生を、譲くんを、傷つけさせたのは私なんだから。

 涙が溢れそうになるのをぎゅっと唇を噛み締めることで何とか堪えた。

 ……私に、泣く権利なんて無い。

「先生。私、必ず知盛を倒します。……そして、全てを終わらせます」

 最早前線に立つことは難しいだろう先生に、私は此処で宣言する。

 その時、僅かに先生が痛ましそうに目を細めたのは気の所為、だったのだろうか。

「――神子」

 布越しの掠れた声が、耳に届く。

「心に背く決断を、してはいけない」

「……え?」

 瞬時、何を言われたのか解らなかった。

「お前は、お前の望みの侭に生きなさい。心を殺してまで、役割を果たす事はない」

 ……何を、言っているのだろうか。

 知盛を、倒すのは、私の心に背いているということ?

 逆鱗を使い時空を歪め、先生の腕を奪い、譲くんを傷つけたのは、知盛なのに!

「如何してそんなことを言うんですか! 確かに私、今でも知盛の事を好きでいます。どれだけ否定しようと其れは変わってくれなかった!」

 悲鳴のような叫びが、喉元から搾り出される。

「知盛は赦されない事をした! 其の知盛を助長させた私も赦される筈がない! せめて私は責任を果たさなきゃならない!! だから私は知盛を殺す!! ――そうしたら……私、」

 止まらなかった。……止められなかった。

「私は、この罪を贖う為に、赦して貰うために。知盛を此の手で殺した後に、自らの命すら絶つ心算だった……」

 ……余韻と言うには寂しすぎる音の反響。

 嘘ではない。

 ちらちらと纏わりついてきた自責の念は、そんな風に私を縛っていた。

 激昂と呼んでも間違いではない憤りを受け止めても、先生は表情を変えなかった。

 ただ、静かに問いかけて来る。

「……罪を赦される必要が、何処にあると言うのか」

 ゆっくりと、諭すように。

「――罪を贖う理由が何処にある。自らを不幸せにしてまで罪とは贖わねばならぬものか? 幸せを願う方が何倍も、大切なのではないか? 何故、お前は罪を贖おうとする」

「……何故? なぜって、それは……」

 咄嗟に、出てこなかった。

 赦されたいから? 赦されたからと言って、一体何になるの?

 自らの幸せの前には、そんなこと、確かにちっぽけなものだ。

 でも。

「でも、私は、白龍の、神子、で……」

「そう。誰よりも幸福でなければならぬ者だ」

 強く、言い切られる。

 其れが模範解答のように、先生ははっきりと私に言った。

 そして、目元を和らげ――愛しむように、私を見詰める。

「神子。お前は……幸せになりなさい」

 ……此の上なく優しい先生のことば。

 そんな事を望むのは赦されないと知りながら、私は何も答えられずに……同じ空の下にいる知盛を思い出していた。




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