先日までの静けさが嘘のように、張り詰めた空気が流れている。

 此れが最後の戦になるのだと誰しもがそう気づいていながら口を開くことは無かった。

 ――援軍が来たとて、源氏が不利なのには変わりない。

 何か神憑り的な力でもなければ勝つ要素は無きに等しい。

 ……兵の視線が、常に付き纏う。

 嗚。嗚呼、解っている、解っている解っている解っている!

 何とかしてくれという期待を込めた眼差しが私を貫く。

 宇治川の時の奇跡をもう一度と願う兵の声が聞こえてくるようだ。

 あんなの奇跡でも何でもない、ただの予定調和だ。

 だって、あんな風に源氏が負ける事は本来ならば無かったはずだもの。

 期待が重くて重くて仕方が無くて、其れでも、私は弱音を吐くわけにはいかなくて。

 私は“強い源氏の神子”のふりをする。


 既に刻限は夜を指している。

 源平ともに互いの位置をしっかりと把握していて、今宵は動きがないことをお互いに知っていた。

 ……どちらも援軍はまだ着いて居らず、警戒を怠ってはいない。

 一度平家が陣取っているだろう方向に視線を向けた後、背後に立つ人の気配で振り返った。

「弁慶さん。……あの、二人の様子は如何ですか?」

 ずっと気掛かりだったことだった。

 けれども、治療の邪魔をしてはならないと自分に言い聞かせ、今まで様子を見に行けなかったのだ。

「譲くんの方は傷は浅く、明日からでも普通に動く事は出来ますよ。今は、ぐっすりと眠っています」

 私を追ってきたばかりに怪我をさせてしまったことが胸に重く圧し掛かる。

 出来れば無理をして欲しくないのが本音だけれど……恐らく彼は、其れを聞き入れる事はしないのだろう。

 ならば、何も言わずにいるしか出来ない。

「……先生は?」

「余り良い状態とは言えません。出血は止めましたが腕を一本遣られていますし、全身に無数の創傷があります。――ですが」

 気難しい顔で紡がれた言葉に、思わず表情が曇ってしまう。

 けれど、最後の最後で弁慶さんはふ、と表情を緩め優しく慰めるように口を開いた。

「流石は天狗や鬼と言われているだけある、と言いますか。回復力が尋常ではありません。此の調子で行けば恐らくは大丈夫でしょう。……失った腕は元には戻りませんが、ね」

 其の言葉に、知らず知らずのうちにほっと溜息が洩れた。

 腕を失わせてしまったことは、幾ら自分や知盛を責めたって責め足り無い。

 其れでも、全てを知っていて尚味方でいてくれた先生を失わずに済んだことは何よりの幸いだった。

「本当ならば余り勧められたことではないのですが、望美さん、リズ先生が君とお話したいと言っていましたよ。……若しよければ、行ってあげてください」

 大怪我を負ったばかりで会話をさせるのは好ましくない事は解る。

 其れでも伝言を頼まれ……、断る事は出来なかったのだろう。

 次に話す機会が訪れるのは何時になるのか解らなかったのだから。

「でも、くれぐれも無理はさせないようにお願いしますね」

 念を押すように言われて、はい。と返事をしてから私は足を踏み出しかけた。

 だけど、思い出したように足を止めるともう一度、弁慶さんの方を見た。

「――還内府も、此の戦に来ますか?」

「……解りません。ヒノエからの連絡からは、平家と源氏が同じくらいに援軍が着きそうだという事しか――。ただ、海岸の方で、少し動きがあるようです。近いうちにヒノエも戻って来るでしょう。その時詳しい事がわかると思います」

 海岸の方で、と言うのも平家の動向を調べに行ってくれていたヒノエくんからの情報だろうか。

 ……だとすると、還内府――将臣くんは、安徳帝達を既に逃がそうとしてる可能性もある。

 其れに共に行ったのか……其れとも、此方を助ける為に援軍に加わっているのか、判断はつかなかった。

 嗚呼、そう言えば今回の時空では、私は将臣くん逢えてすらいない。

 泣きたいような、笑いたいような気分になりながら、私は弁慶さんに頭を下げた。

「……有難う御座います」

 そして今度こそ、糸の張り詰めたような源氏の兵の間を縫って歩き、先生の元へと急いだ。



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