――私は心の何処かで期待していました。

 知盛が時空を越え、再び同じ空の下にいながら戦を大きくしようとしていると知った時だって、心の何処かで希望を捨てきれていなかったのです。

 何時か知盛が自分がしていることを後悔して、剣を捨ててくれることを。

 私の事を、好きになってくれることを。

 ……知盛が死なずに、私とともに生きてくれる世界が訪れることを。

 そんな日は訪れないと解っていた筈なのに、私は心のどこかで其れを願っていたのです。

 だって 皆がいて 私がいて 知盛がいる。

 そしてもう剣を交えなくとも良いだなんて、何て幸せな光景なんだろう。

 だから。

 此れは悪い夢なのだと。

 瞳を強く閉じ、再び開ければ誰もが皆幸せそうに微笑む世界が広がっているのだと。

 そう、信じたかったのです。

 ……私は、信じていたかったのです。

 けれど、遂に。

 其れは儚い夢であるのだと……思い知らされる事になりました――。


「先生、先生――!」

 ぼたぼたと血が滴り落ちる音が厭に耳に響く。

 敵がいると言うのに無防備に駆け寄っても、先生は私を咎めなかった。

 恐らく切り落とされた痛みにより咄嗟に言葉が出ないのだ。

 ビリ、と服の袖を引き裂くと、何とか止血をしようと先生の二の腕辺りをきつく括った。

 無駄な行為であると解っていながらも、そうせずにはいられなかったのだ。

「……遅かったな、神子殿。もう少し早く来ていれば、腕は無事だったのかもしれんな」

 剣を伝い地面に落ちようとする血を舌先で軽く舐め取りながら、知盛は愉快そうに笑った。

 すぐさま私に切り掛かってこなかったのは私の動揺の仕方が可笑しいと言わんばかり。

 最早本当に、赦してはならぬのだと悟り私はきつい眼差しで知盛を睨み付ける。

 だが、それは予想通りであったとでも言うように知盛の微笑は変わらない。

「クッ……、そんなに其の鬼が大事だったか? 焼けるぜ」

 今ではもう馬鹿にしているとしか取れない言葉に、私の胸の中にどろりとした良くない感情が生まれるのが知れた。

 信じていた私が馬鹿だった。

 好きだった私が馬鹿だった。

 この男はこんなにも、人を傷つけて喜んでいる。

「……赦せない」

 先生の血で濡れた手で、剣の柄を取り構える。

 頭に血が上っていると自分でも解っていたが、この溢れ出る感情を抑えることは出来なかった。

「神子、……剣を、下ろしなさい」

 片腕を失って猶しっかりとした口調で先生は私を咎めたけれど、先生の顔は蒼い。

 多量の血が失われている証拠だ。

 一刻も早く、弁慶さんのところへ連れて行かなければ。

「先生は下がって居て下さい。……知盛、掛かってこないのなら、こっちから行くよ」

 今の私は先生の言葉を聴く気などない。

 其れが後でどれ程叱られることになろうとも、恐らく此処で知盛に背を向けて逃げ出しても後ろから切られるのが関の山だ。

 恐らく動くことも苦痛であろう先生から知盛の剣を遠ざける為に、私は知盛を力で押し退けるように思いっきり地面を蹴った。


 剣を交えていたのは、時間にしてみると其れ程長い刻ではなかったのかもしれない。

 だが、私にとってみるとあの、知盛に逆鱗を託した夜の再来のように長く長く感じていた。

 けれど、世界の明るさも、知盛に対する気持ちも……何もかもがあの日とは正反対。

 焦れば焦る程に知盛に弾かれる剣の手数は増え、其れに比例するように私が際どく避ける太刀数も増えていった。

 ――時間をかけてはいられないのに。

 今此処で知盛を殺すことが出来ずとも、一刻も早く退けねばならない。

 今こうしている間にも先生の身体からは血が流れ落ちて居るのだから。

「く、ぅ……!」

「如何した、集中しないと自分が苦しい思いをするだけだぞ……?」

 私の焦りを感じ取っているのに、態と戦いを長引かせるように知盛は動く。

 焦りは剣を鈍らせる。

 其れを厭うかのように、戦いに集中しろと言う。

 けれどそれは無理な話だ。知盛がそうさせようとすればする程に私は焦るだけ。

「先輩ッ! 横に跳んでください!」

 突如、放たれた声に考えるより先に足が地面を蹴り、右側に跳んだ。

 ドス

 剣が刺さった音ではない、鈍いとすら感じる音が聞こえる。

 振り返ると其処には、弓を放った譲くんが居て――

 視線を戻すと、其処には胸元に矢の刺さった知盛が居た――。



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