「早く! 何時敵がくるのかわかりません!」
顰めた声は其れでも然りと皆の耳に届くように。
切迫した雰囲気は伝染するように急速に私たちの間を駆け巡って行く。
「望美さん、この先に以前密偵が見つけておいた洞窟があります。入り口は解り難いため最適な場所の筈です」
そっと控えめな声で提案を出してくれた弁慶さんに頷くことで同意を示し、其れと共に、私は少し考える。
――遅い。
先生が足止めすると残ってから、可也の時間が過ぎた。
恐らく平家の兵達よりも先生は私たちを早くに見つけられる筈だ。
けれども、未だ合流で居ていない……。
「此処です、中は広く、この人数でしたら十分入れるかと」
がさ、と低木を掻き分けるようにして枝を退けると、大人の男一人がやっとすり抜けられるような狭い洞窟の入り口があった。
次々と入り込んでゆく彼らを尻目に、私は幾たびも振り返り、先生の姿を探した。
……けれど、姿は見えない。
「さあ、先輩も早く」
譲くんの促す声を聴き、はっと顔を上げる。
目の前に示されたのは、暗くて寒そうな、洞窟への穴。
こんな所で私はただ待ち続けることが出来るのだろうか。
「望美? 如何か、したの……?」
気遣わしげに問い掛けてくる朔に曖昧な笑みで答えながらも、このとき私は、既に決意していた。
「……弁慶さん、後、頼みます」
「! 望美さん、まさか……」
察しの良い彼は私がこれからどのような行動に出るのか、言わずとも解っているような気がした。
けれど私は敢えてきちんと伝えるように、ゆっくりと表情を笑みにと変えて宣言した。
「私、戻りますね。だって、先生が一人で戦っているんですから」
私は彼の人の弟子でありこの悲劇を生み出した役者のひとり。
こんな所で一人のうのうと隠れてなんていられないから。
だから、私は皆の返事も待たずに踵を返すと駆け出した。
微かに、引き止めるような声が聞こえていたけれど、私は一度も振り返りはしない。
勝手をして、ごめんなさい。
けれども此れは私に責任があるんだから、私は飛び込んでいかなくてはいけないんです。
まるで何かに導かれるように、私は迷い無く今まで来た道を駆け戻った――。
――不思議なくらいに敵に遭わない。
此処までの道すがら気持ちの悪い程に静かな山を駆ける。
先生が本当に一人で足止めをしているのだろうか。
そうであったのならば、駆けつけたのはほんの杞憂であったのかもしれない。
「……っ」
木々の擦れる音に混じり、不似合いな金属の音が聞こえる。
剣を交えている。
微かに漂う血臭からも、其れは間違いのない事が知れた。
駆ければ、開けた場所に金色の色が踊る。……先生だ。
周囲には平家の兵達が幾人も横たわり、先生の他に立っていたのは、ただ一人だけだった。
「知――」
其の名を呟きかけた瞬間に、
ぼとり と。
鈍い音が、耳に入り込んで来る。
「……あ、ぁ……」
此方に背を向けるように、先生が立つ。
その後姿は何時もと変わりない筈だった。
――そう、“筈だった”。
地面に落ちたのは、剣と、――本来ならば先生の身体に然りとついているもの。
「いやああああああああああッッ!」
――何時もと変わりない筈の先生の後姿は、その右の肘から下が、そっくりそのまま失われていた。
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