「菫、ほら此方に来て御覧」

 何時の頃からか、月也殿はわたしをただ“菫”と呼ぶようになった。

 穏かに二人で過ごす時間がわたしと月也殿との距離を縮めさせていたのだ。

 否、最初から距離なんてものは無かったのかもしれない……。

 陽太様はわたしには遠く及ばぬ神子様に近しい方。逆に、月也殿はわたし……いや、星の一族に近い感じさえする。

 ――名前が余りにも象徴的で、少し可笑しかったけれど。

「如何かなさったか、月也殿」

 やわらかな光射す庭、月也殿に手招かれるままにわたしは屈みこんでいる彼に近づいた。

 戦場とは隔離されたような有川の家は心地良い。

 月也殿の両親も、まるでわたしを本当の家族のように扱ってくれる。

「ほら、此処。花が咲いているんだ」

 そっと覗き込むと、優しい色をした可憐な花が顔を覗かせている。

 この世界は初めてみるものばかり……花ですら、異国から入って来たものなど見た事無いものが沢山ある。

「本当だな。大分この庭も見て回ったと思ったものだが……初めて見る花だ」

 何と言う花なのか問おうとして――止める。

 恐らく月也殿も知らぬのだろう。

 知っていたのならば既に丁寧に説明してくれていただろうから。

「後で事典を持って来て一緒に調べようか?」

 色素の薄い髪は、陽の光を透かすように細く、綺麗だ。

 其れに劣らず整った貌を優しく和ませ、月也殿はわたしを見据える。

「ああ……いや、それは今度にしよう。余り外に居るのも身体に障る。菫はそう急いではおらぬよ」

 時間は沢山あるのだからと、そう暗黙のうちに告げるように。

 ――わたしは此の世界で生を全うするだろう。

 何時か夢で見た自分の終生。

 星の一族の……力を持った者の血が京で絶えてしまうのは恐ろしかったが、若しかすると再び力を持った者が現れるかもしれない。

 あちらの世界を想い、嘆き、悲観するよりも、菫は此処で胸を張って生きて行きたい。

 月也殿が居る。一人ではない。

 だからわたしは此の世界で、誇りを持って生きて行こう。

 ……そうしないと、余りにも此の世界で戦に向かう者達に失礼と言うもの。

 そう、陽太様のような……。

「そう言えば月也殿、最近陽太様を見ませぬが……若しや、既に戦場に……」

 あの森で会話を交わした日より陽太様は幾度となく有川の家を訪ねていた。

 月也殿と二人で会話することもあれば、わたしを交えて三人で会話を交わす事もあった。

 陽太殿がわたしに何も告げずに戦に行くのは哀しいが有り得ない話ではない。

 だが、最後に陽太様が月也殿に逢いに来られた時、そのような素振りは皆無だった。

 ゆっくりと月也殿は立ち上がり、わたしの髪に指を絡めながら口を開く。

「未だ行ってはいないよ。――陽太は今、忙しいんだ」

 優しく言い聞かせるように、甘い声音で紡がれる言葉。

 それは如何いった意味かと問う前に、月也殿は目を細め、薄い唇を笑みの形に整えた。

「菫は知らなかったんだっけ。陽太は所帯を持つようになったんだよ。その準備で忙しいんだ」

 こんな時代だけど、目出度い事に変わりはないよね。

 和やかに、月也殿は笑う。

「……そ、そうなのか。其れは、本当に良き事だな……」

 そう、良い事のはずなのだ。

 ……その筈、なのに。

 何とも表現しがたい悪夢のように、わたしの胸を苛んだ。



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