「陽太に会ったんだね?」

 彼のお方と出逢っから数日、思い出したように月也殿は言った。

 神子様に関わりの深い人物となるであろう人物だ、尊敬してやまない。

 けれど。

 強すぎる? 陽の気が思い出され、自然に表情が曇ってしまう。

「……あれ。陽太が心なしか楽しそうに語ってたから打ち解けたと思っていたんだけど……そうじゃ無かった? まぁ、確かにあいつは少し無愛想な所があるけれど」

 悪い奴じゃないよと付け足すように言う様子が、月也殿と陽太様の仲が良いことを語っている。

 悪い人物などとは思っていない。寧ろ、その逆だ。

 意志の強そうな視線に晒されると全てを見透かされているようで、居た堪れなくなる。

「菫さん? 大丈夫?」

 黙りこんでしまったわたしを心配してか、月也殿の手がするりとわたしの頬を慰めるように撫で上げた。

 ――月也殿は、こういった“スキンシップ”というものが多い。

 最初こそは何を無礼なと怒ったものだが、今となって考えると此の手に慰められてきた。

 見知らぬ世界でも一人きりじゃないんだよ、と言ってくれるみたいに。

「大丈夫だ。……別にわたしは、あの方のことを悪くは思っていない」

 緩く唇を綻ばせるように笑むと、月也殿も安堵したように柔らかく笑う。其の名の通り、月の光のような柔らかさで。

 ――そう。こんな所もあのお方とは真逆。

 月也殿はこうして抱きとめるような穏やかな優しさを与えてくれる。

 そして多分、陽太様は強くあれと甘えを赦さずに突き進むように言ってくださるのだろう。

 そのどちらが良いかは受け止める側によるもので、……わたしは今、月也殿の優しさに凭れるように何とか気丈に振舞っている。

「それなら良かった。嗚呼、そろそろ私は文字を書かなければ……。菫さんは此れから母のところに?」

 名残惜しげに離れた手は、直ぐに何事も無かったかのように緩く組まれる。

 月也殿の問いかけに少しだけ、思考を巡らせて首を横にと振った。

「いや、偶には散歩に出ようと思う。――月也殿、“原稿”が書きあがればわたしに見せろ。採点してやろう」

 わたしの言葉に月也殿は軽く笑って、余り遠くまで行かない事と、そのうち見せてくれるという事を言った。


 戦時中とは思えぬ程長閑な道すがら。

 其れでも戦であることを忘れさせぬようにとさせているように、人々の会話からは其の話題が消えることは無い。

 ささやかに聞こえてくる話題は余り聞きたいものではなく、足は自然人気を避けるように動いて行く。

「……此の道は……」

 そうしているうちに、見覚えのある道に出た。

 初めて此の世界に来た日に、月也殿と二人で辿った道。

 なれば逆を行けば最初の森へと辿り着けるのだろう。

 自然早足になるのを抑えるようにして、わたしは森へと向かった。


 正確には覚えていないが、恐らくこの辺りだった。

 龍の宝玉。

 わたしと共に此方の世界に来たのは、それだけだった。

 もしかすると、他にも何かが此方に跳ばされてきているのかもしれない。

 そんな思いがわたしの胸にあった。

 そっと道を遮ろうとする枝を指で払いのけるように歩くと、不意に人の気配がして身を強張らせる。

 一体誰がこんなところにいるのだろうと息を潜め、隠れるようにその姿を探した。

「――あれは……陽太、様……?」

 見紛う筈もない。

 否、間違う筈もないのだ。あの二つとない陽の輝きは疑いようもないのだから。

 わたしの、凝視するような視線に気付いてか陽太様は此方を向き、少しばかりか驚いたように目を開いた。

「菫? ……嗚呼、月也と来たのか?」

 陽太様の口から月也殿の名前が出て、些か不思議であったが、自分が月也殿のお宅に世話になっている事を思い出すと妥当な考えだと言える。

 相手との距離を埋めるように、わたしは躊躇いがちに陽太様に近づいて行く。

「いいえ。わたしは、一人で。……陽太様は――?」

 わたしの言葉を聞くと、一人歩きは感心しないといったような表情を作られてしまう。

 叱責を覚悟したが、其れは彼の人口から紡がれることはなかった。

「此処は、昔良く月也と共に遊んだ場所だ。久方振りに訪れたが、少しも変わっていない……」

 木漏れ日を受けるように顔を持ち上げ、光に目を細めてみせる。

 其れは本当に懐かしんでいのと同時に、……何処か、寂しそうに見えた。

「此処は俺にとって特別な場所だった。……此処で菫に逢ったのも、何かの導きかもしれないな」

 緩く笑みを浮かべて言われた言葉は、胸にずしんと響いた。

 わたしにとっても、此の場所は特別。

 全ての始まりの場所であるし、何より――恐らくわたし達の出会いは真に龍神様に導かれてのものであるのだろうから。

 まるで、其れを知っているかのように紡がれた言葉に、動揺せずにはいられなかった。

「それは、如何言う……?」

 その真意が知りたくて、震える声音で問い掛ける。

 けれども、陽太様から返ってきた答えは、わたしの思っていたものとは違うものだった。

「決意を、聞いて貰えと言われたような気がしてな……」

 ……一体、何の。

 問う前に、木の幹に寄りかかるようにしながら、彼の方は緩やかに語り始めた。

「俺は近い先此の戦争に借り出されることだろう。……其れは、避けようもない事実だ」

 まるで何事でもないかのように語られた言葉は、もしかすると死ぬかもしれないという色をにじませていて、はっとなる。

「俺に何が出来るだろう。俺は何を成せるだろう。――正直、此の国が勝ち続けられるとは俺は思えない。多くの民が犬死して行くとしか思えない。其れでも、俺は、戦地へ向かう」

 辛辣とすら取れる言葉は、まるで此の国の行く末を憂えているような響きがある。

 犬死と目の前の方はおっしゃった。

 ならば、何故逃げないのですか。何故、生きようとはなさらないのですか。

「……それが解っていて、貴方は何故、戦争に向かうのですか?」

 其れが義務だから? 国を護りたいから? そんなものの為に、貴方は死しても構わないとおっしゃるのですか。

「何故? ……さて、男だから、かもしれんな。……俺には両親が居る。友も、仲間も、大切な者が大勢居る。少しでも皆が長らえてくれるのならば、この身朽ちても構わぬ所存だ」

 それは何と偽善的な台詞。

 自己犠牲こそ愛だというのか。其れで果たして皆が喜ぶというのか。

 何と身勝手なお方。

 男だからという理由で命すら掛けられるというのならば、何故懸命に生きようとなさらないのか。

「そう怒った顔をされるとは思わなかった。……菫、お前とは逢って間もないが、俺はお前のことも護ってやりたいと、そう思っているよ」

 ――何と、酷いお方。

 そう言われてしまうと、もう何もいえなくなってしまう。

「今日は懐かしき思い出との決別の為に此処に来た。……俺はもう、此処へは来ない。優しい記憶は、俺を駄目にしてしまうから……」

「……生きたいという迷いを残さない為に、ですか。……わたしは、忘れて欲しくはありませぬ。陽太様に生きていて欲しい、……この記憶を、忘れずに居て欲しい」

 此の方がいなければ、神子様は現れないかもしれない。

 そう自分に言い聞かせながら言葉を紡ぐ。

 陽太様は少しだけ、侘しそうな顔をし、ゆっくりと笑んだ。

「お前が覚えていてくれ。俺の代わりに……俺の、何てことはない幸せな記憶を……」

 ――其れから陽太様は、静かに優しい、自分の過去のお話を聞かせてくださった。

 耳を傾けながらわたしは、矢張りこの方に思い出を消して欲しくないと、そう思った。

 こんな風に穏やかに語る優しい記憶は、きっと陽太様には必要なのだろうから。

 神子様に関わりがあるからというだけではなくて。

 ……この方のことがもっと良く知りたいと思っている自分に気付く。

 あれ程恐ろしいと感じていた陽の気は、いつの間にかわたしにとって、とても心地良いものへと変化して行った――。


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