背後から迫り来るものを恐れるようにただ朔の手を引いて道を駆け抜ける。

 道がぐらぐらと揺れまっすぐに走れていないような錯覚に陥る。……そんなわけ、ないのに。

 どれ程駆けたことだろう。

 ぐんと後ろに引っ張られる力が強まり、ハッと気が付いた。

 自分のペースでどんどん先へと進んでいたが、朔は自分ほど体力があるわけでもないだろう。

 だが朔は不平一つ零す事無く、もうこれ以上は走れないと体が訴えるまで只管に走ってくれた。

 そんな彼女に対しての己の配慮に欠けた行動に、朔に対する申し訳なさが込み上げてくる。

 ゆっくりとペースを落とし、やがて足を止める。

 繋いでいた手をするりと解いて彼女の方を振り返った。

 見ると矢張り肩で息をし苦しそうに呼吸を繰り返している。

「ごめん、朔……大丈夫?」

 声を出すのも苦しいはずだから、今このタイミングで問い掛けるべきでないことは分かっていた。

 だが口は勝手に伺い立てるかのように言葉を紡ぎだしてしまう。

 朔は大丈夫、と言う風に微かに笑みを浮かべた後、一度大きく息を吸って、吐き出した。

 その笑顔はわだかまり自体は消えぬもののこちらを気遣ってくれているのがありありと解る。

「ノゾミ、あの……」

「……先に、いいかな?」

 朔が何か口を開く前に、遮るように言葉を発した。

 その事に対して特に異論は無いように朔は黙って頷いてみせた。

 何処か店に入れば良かったのかもしれないとも思いながら其のまま壁に寄り掛かる。

 ……母が居ないと言う状況だけで安心したように体が弛緩するのがわかり、暫らく動けそうに無いことがわかった。

「……ごめんね、朔」

 ぽつ、と小さく言葉を漏らせば意外だったのか、朔は驚いたような表情で此方を見ているのがわかる。

 そんなに驚く事、ないのに。

「さっき庇って貰ったこと、と。俺が……、自分の母親のことを細かく語るのが厭で、朔を気に病ませてしまったじゃないか。赦す赦さない、厭だ厭じゃないも何もない……朔が気にする必要なんて、なかったんだ」

 自分はほとほと馬鹿だと思う。

 言葉が足りないばっかりに、精神的に落ち込んでいるであろう彼女を更に気に病ませる結果になって。

 好きな子を、傷つけるようなことばかりして。

「そんなの、ノゾミが謝る事ではないわ。……貴方にも語りたくない事だってあるのに。其れを、私の勝手な思い込みから貴方に酷い事を言って――私の方こそ、ごめんなさい」

 ――朔が。

 母と其れに怯える俺を見て一体何を悟ったのかは知らない。

 彼女は深い部分を聞いてくるわけでもなかった。

 ……俺が、話すまで待つと言う事なのだろう。そんな意思がはっきりと伝わってくる。

 しかし、今の俺にそんな勇気があるわけもなく、沈鬱な顔をして口を噤んでしまう。

 けれど。

 何時か、君に打ち明けられたら良いと、そう、思ってる自分が居るから。

 打ち明けて、「大丈夫よ」と言って欲しい自分が居るから。

「――何時か、話すね」

 如何かそんな日が来る事を赦して欲しい。

 言うと朔は笑って、優しく手を差し出してくれた。

「そろそろ帰りましょう将臣殿が心配しているかもしれないわ」

 差し出したその手を取る瞬間に、次は走り出さないでね、なんて朔は笑って。

 釣られるように思わず笑ってしまった。

 朔の手は母とは違ってとても温かで、その温もりがじんわりと掌に伝わってくるのがとてもとても嬉しかった。

「……朔、好きだよ」

 手を引かれるように歩きながら、出来るだけ何気なく風に乗るように紡いだ心の声。

 少し先を行く君は、此方を振り返る事なく笑みを含んだ声で答えた。

「私も大好きよ、ノゾミ」

 ――そういう意味じゃ、ないんだけどな。

 きっと意味違いの“好き”に、此れ以上紡ぐ言葉を俺は持たない。

 其れでも君の言葉はとてもとても嬉しくて。

 多分、俺の耳は真っ赤に染まっていただろうって、思ったんだ。


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