母は俺の手が朔の腕を掴んでいるのを一瞥すると至極不愉快そうな顔になる。
その視線から護ろうとするかのように朔を背に庇った。
――俺自身も震えて居るというのに、とんだお笑い種。
でも咄嗟に身体が動いてくれるだけ良いと安心しさえする。本当に自分が朔を護りたいと思って居るのだと自覚できる。
「吃驚したわ。突然居なくなって……、もう少しで捜索願いを出すところだったのよ。髪の毛が切られてあったし、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと……」
口調は心配する母親そのもので、可笑しなところなど何処にも無い。
だけれど背筋に冷たい汗が流れるのが解る。
身に染み付いた、言いようの無い恐怖感だ。
「ノゾミ、貴方のお母様……? ご挨拶を……」
朔の言葉は其れ以上続かなかった。
俺の名を呼んだ瞬間に母があからさまに不愉快そうに表情を歪めてみせたからだ。
「……“望美”ちゃん。その子は何方?」
其の台詞を紡ぎ出す頃には顔こそ笑みの形を取っているが、目こそ全く笑っていない。
突然“俺”が消えた以上に女と一緒に居るのが気に入らないのであろう。
一歩、母は此方に足を動かす。
追い詰められて行くような気分になるのは、何故。
「そんな男の子のような格好をしちゃって――ねぇ、貴方が突然居なくなったのは……其の女の所に泊まっていたから?」
ほら、また。
物分りの良いような母親の顔をして、其の瞳には言い知れない悪意を隠している。
未だに自分の娘が死んだ事を認められない癖に、俺が女の子と一緒に居るのを酷く厭い――そして
「まあ良いわ、帰りましょう“望美”ちゃん」
そして……
「何を止まっているの? お母さん、貴方が居なくてとても寂しい思いをしてたのよ」
貴方は、俺に…………
「さ、帰るわよ」
「待って下さい」
凛と通るような声に、ハッと意識が正常に戻った。
無理にでも連れて帰ろうとしたのか、母が伸ばした腕を遮るように何時の間にか庇っていた筈の朔が間に立っている。
「どんな事情があるのか知りませんが、ノゾミが帰りたがっているようには見えません。……一度、お引取り願えないでしょうか」
……先程まで、あんなにも俺を避けようとしていたのに。
不安定な俺を見て、こうして矢面に立とうとしてくれている。
何も知らないのに、何も、解らないのに。
「貴方にそんな事を言われる理由はないわ! ウチの子を誑かさないで頂戴!!」
「何を勘違いされていらっしゃるのか解りません。ただ私はノゾミの意志を尊重させたいだけ」
嗚呼。何て君は優しいんだろうか。
「ノゾミ、貴方はどうしたいの?」
其の声に、泣きそうになる。
「俺は……」
やっぱり、君が好きだよ。
「“望美”ちゃん!」
母の呼びかけに、身体がビクリと揺れた。
身に染み付いた服従の観念は些とやそっとじゃ抜けてくれそうにない。
「我儘を言うのも、大概にしなさい」
キツイ語調で言われると、……もう、逆らえる気がしなかった。
ごめんね。君が庇ってくれたのに。
ごめんね。俺はやっぱり、まだまだ強くなれそうにはなかったみたいだ。
「俺は」
今まで感じた事の無かった心苦しさが胸に圧し掛かる。
逆らう事を諦めた筈なのに、未だ何処かで悪あがきしたいと思っている。
――なんて惨めなんだ。
「……俺、は」
グイ、と。肩を引かれ大きな背中が目の前に飛び出した。
「――スイマセン、おばさん。今俺ン家で合宿みたいなのやってるんですよ」
聞き慣れた声は今まで幾度と無く俺を助けてくれた男のもの。
視線が交わった一瞬に、「行け」と唇が動いたのを、俺は見逃さなかった。
「あら、将臣くん? 少し見ない間に随分と大人っぽくなったのね」
声質を少し和らげた母が将臣と向き合っている。
その気が逸れた一瞬に、俺は朔の腕を掴み母とは反対方向に駆け出した。
「きゃ……っ」
瞬時朔は戸惑うような声を漏らしてみせたが、直ぐに状況を理解してかそのまま何の抵抗も無く引っ張られてくれる。
「――“望美”ちゃん?!」
「嗚呼、あいつらには買い物頼んであるんです。“女の子同士”、頼りになると思って」
其方に背を向けて走る事になっているから解らないが、声からして将臣が母を留めていてくれている事を知った。
ごめん、ありがとう。
心の中で将臣に何度もその二つを繰り返しながら、俺達はその場からぐんぐんと遠去かって行った。
【Back】【Next】
【朔TOP】
【遙かTOP】