有川の家に世話になるようになってから数日が経った。

 意識せずとも解る。

 朔が、俺の事を避けて居ることが。

 何故、と。気にならないわけが無い。

 最も微笑んでいて欲しかった君は、俺の顔を観るたびに辛そうな顔をして視線を逸らす。

 ねぇ、俺は何か悪いことをしただろうか?

 無意識のうちに君を傷つけてしまった?

 ……嗚呼。髪を切って変わったつもりでいたのに。

 俺は何時まで経っても弱い俺のままなのだろうか?

 拒絶されることが怖くて、否定されることを恐れて、何も聞けないまま逃げるのか?

「……其れは、厭だな」

 それだけはしたくないと思うのは、このまま切って捨てて良いような想いではないから――。



 広いと言えども現代の家庭。

 あちらの世界のような邸ではない有川家にこの人数は些か手狭だろう。

 自然、家の中に入れば其の分邂逅の回数も増えて来る。

 徹底して避けようとしても、そうは出来ぬもの。

 だからか、朔は家を空ける回数が自然と増えて行った。

 だが其れすらも完全に避けれているとも言い難い。

 ――朔が家を出て行く。

 其のタイミングを見逃さず、慌てて靴を履くと着の身着のまま飛び出し其の背に呼び掛ける。

「――朔!」

 聴こえないふりをしようと思えば出来るだろう。

 けれども基本的に生真面目な彼女は、僅かな逡巡を見せながらもぎこちなく、振り返ってみせるのだ。

「……ノゾミ? あの、私、少し急いでいるから……」

 如何したの。と常ならば優しい声で聞いてくれるのに、今の彼女には其れがない。

 その事がより避けているのだと妙な実感をさせられて、胸が苦しいのだ。

 言って、そのまま立ち去ろうとする朔の腕を強引に掴み、引き止めた。

「待って! ……待って、朔」

 懸命に呼び止める自分がやけに必死で、……とても滑稽で情けない。

 其れでもこの手を離すつもりはない。

 朔も解ってくれたのか――其れ以上逃げようとはせずに、そのまま静かに向き合ってくれた。

「…………」

 切り出し方が解らない。先程まで懸命に思考を巡らせて居た筈なのに、咄嗟に言葉が出てこない。

 朔は其れを急かす風でもなく、ただ、少し視線を落としたまま何も言わなかった。

「……朔。最近……いや、こっちに来てから俺の事を避けてる。俺、何かしたかな。何か……、朔が厭だと思ってしまうこと、したかな?」

 結局、飾り気の無い自分の素直な疑問が口から零れ落ちる。

 上手く言えるわけじゃなかったけれど、取り繕ったって多分、気持ちは伝わらないから。

「俺、朔に理由も解らず避けられたくない。……朔に避けられるのは、辛いよ」

 ぎゅ、と。

 朔の服の袖を掴む手は、まるで親とはぐれた子供のようだと自分でも思った。

 ――緩々と小さく、彼女の頭が横に触れる。

 其の顔は、とても哀しそうで……泣きたそうにも見えた。

「何かしたのは、私の方よ」

 か細い声を、最初、聞き取れなかった。

「え……?」

「如何してそんな事を言うの。悪いのは私。貴方の首を絞めたわ。自分の願いの為だけに、貴方を殺そうとしたわ。――其れは未遂に終ったけれど、その罪自体が消えるわけじゃない」

 さらさらと水が零れるように流れて行く声は、震えているようにも聴こえるのにとても綺麗に響く。

 真っ直ぐに見返すように上げられた顔は、苦しげに目が細められていた。

「赦されるわけが無いって最初から解ってたわ。貴方はあの日私を拒んだんだもの。……其れなのに、如何して今、心配する素振りをしてみせるの? そんな風に心を偽られるよりも、責められた方が随分と良いわ……」

 静かな声の筈なのに、紡がれる言葉は慟哭に満ちている。

「――拒んだ? 俺が、朔を?」

 そんな筈は無い。其れだけは、万に一つもありえないと言うのに。

 知らず知らず、朔の腕を掴んだ手に、力が篭る。

 伝われば良いのに。どれだけ自分が朔のことを思っているかを。

 どれ程自分が、嫌われたくないと思っているかを。

「この世界に来た日、貴方は言ったわ。“駄目だ”って。将臣殿はお母様の事を言っていたけれど……、本当に、其れだけだったのかしら。……私の事が、厭になったのではないの?」

 朔の其の言葉に、瞬時、身体が固まってしまった気がした。

 そう。譲が、朔は俺の家に泊まった方が良いのではないかと提案した時に、俺は確かに駄目だと言った。

 其処には母親に関する以上の事は無い。

 だが何も知らぬ朔にとってみれば、其れはただの後付に聴こえても仕方が無いだろう。

 ――たとえ今、俺が将臣の家に世話になっていたとしても、その理由までは告げていないのだから。

「朔、其れは……」

 弁明のように口を開きかけた其の時、――別の方向から、“俺”を呼ぶ声があった。

「あら、“望美”ちゃん。……こんな所に居たのね」

 笑みを含んだようなにこやかな声。なのに背筋が凍るような錯覚に囚われる。

 このように俺を呼ぶ人物だなんて、この世界には一人しか居ない。

 其れは――



「かあさん……」



 母は、其の声に答えるようににっこりと綺麗な笑みを作ってみせた。



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