一体何時の間に朝が訪れたというのか、冷たい空気に冷えたように、窓から差し込んでくる光はキラキラ、凍っているみたいに綺麗だった。
大きく息を吸い込んで――吐く。
緊張で強張ったまま眠ってしまったのか、動こうとすると身体が軋んだ。
今何時であろうかと携帯を手に取り、時刻を確認する。
午前9時を回っていた。
嗚呼、此の時間ならば恐らくあの人は仕事に行っていて家には居ない。
仕事は生き甲斐だと豪語してやまぬ人。朝になれば何時も夜自分がしていたことは無かったかのように振舞うから。
「……は、ぁ……やっぱ、駄目だな俺って」
ベッドの上で上体を起こし俯くと、長く伸びた髪がさらりと零れ落ちる。
強くなろうと決めたのに。
誰かを守るどころか今は自分にも打ち勝てずにいるじゃないか。
長い髪が重くて、身体に纏わりつき、身動きを取れなくさせているようで――苦しい。
悲鳴を上げる身体と心を押し殺すように起き上がり、着替えをしようとのろのろとクローゼットの前に立つ。
中を見ると、どれもこれも“女の子らしい”、“可愛い”服ばかり。
正直な事を言うと、どれもこれも自分の趣味ではなかった。
この部屋の中を見たってそう。
女の子なら憧れそうな部屋だ。
でも、俺は女の子じゃないし、この部屋に居るのは場違いで……苦しい。
ぐっと言い知れぬ衝動を堪えながら、何とか無難な服を選んでゆく。
シンプルなトップスに、デニムのパンツ。
嗚呼でも後上に羽織るものは女物しかなくて、着たくない。
大きな鏡を覗き込むと、其処に立っているのは紛れもない髪の長い“女の子”。
母の想いに、母の願いに縛られた……可愛くて優しい“女の子”。
ぎゅ、と唇を噛み締め拳を振り上げる。
こんな姿は見たくない。
こんな女の子は俺じゃない。
其の手が振り下ろされる直前、ピン、ポーン。と少しズレた感じのチャイムが鳴る。
其の事で漸く我に返り、頭を左右に振った。
――こんなことしたって、何の解決にもなりはしないのに。
慌てて玄関に向かい、誰が来たのかを確認すると其処には将臣が立っていた。
「……将臣? 何やってんだよ」
ガチャ、とドアを開けて将臣を向かえ入れようとする。
けれども将臣は其れを断って、その場で話し始めた。
「お前、やっぱり今日学校休んだんだな。――連絡は入れたか?」
言われてみて、今日が平日であることを思い出した。
玄関から電話を置いてある方を振り返ってみてみると、電話の横には学校関係のプリントが置かれている。
「……してある、みたいだ」
俺の言葉に将臣は少し苦い顔をした。
全ての真実を知っているわけではない将臣。
其れでも、今迄ずっと相談し続けてきたんだ。
俺の母親の“病気”を、将臣は知っている。
「……おばさん、まだお前の事を“望美”だと思ってンのか」
同じ名前なのに、違う響き。
俺は曖昧に笑むと、緩く頷いた。
――春日望美。
本当なら、今此処にこうして立っている筈だった、……俺の、姉。
詳しい事は知らないが、俺が生まれる直前にこの世を去ってしまったと言う。
だから、其れと入れ替わりのように生まれた俺を見て、母親は「望美がまた生まれてきてくれた」と思ったそうだ。
のぞみ、のぞみ。
何度も何度もそう繰り返し呼び、父親が制止するのにも関わらず俺を女として育てた。
俺を、失ってしまった姉として扱う。……其れが母の病気。
父親は何時しかそんな母に愛想を尽かしたように、仕事ばかりにのめりこみ、今では余り帰ってすら来ない。
若しかすると俺の戸籍の名は“ノゾミ”ではないのかもしれない。
けれど其れすら今の俺には知る由も無いことだ。
「ノゾミ、お前、一晩で随分やつれたぞ。……大丈夫か?」
気遣わしげに将臣が問う。
その問い掛けには、イエスともノーとも返せない。
だって、どちらにしたって心配させるだけなんだから。
「……昨日、一晩考えた」
「……?」
重苦しく、将臣が口を開く。
一体何を言おうとしているのか、まるで想像がつかなかったからだ。
「お前のお陰で、誰も死なずに済んだ。悲劇は起きなかった。――いや、そういう問題じゃねぇ。俺はお前を助けたい。……大切な、幼馴染で、親友のお前を助けたい。……ノゾミ。今、此の家に居るのが辛いと言うンだったら、俺たちの家に来い」
頼ってもいいんだ。頼りにして欲しい。
真摯な口振りからは、其れが虚実でないことが読み取れる。
そんな勝手なことしていい筈ないじゃないかと考える。
でも、不意に。
じんわりと視界が滲み、次の瞬間には、俺の口から勝手に言葉が滑り出ていた。
「――うん。行きたい、よ……」
――本当は、何時も逃げ出したかったんだ。
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