――見慣れた風景である筈の其処を、澱んだ空気が支配しているのだと知れる。

 バラバラバラという音が響き導かれるように上空を見上げれば曇った空にヘリがある方向に飛んで行っているのが見えた。

 確証はない。

 だが、予感があった。

 茶吉尼天は、ヘリが向かう先に居る。

「……ノゾミ」

 何時までも見上げてばかりでは駄目だと言うように将臣に声を掛けられ、うん、と浅く頷いた。

 見渡してみると、仲間達も皆早く向かおうという決意が其の瞳に宿っている。

 ……なんて心強いのだろう。

「行こう、みんな」

 其れが切欠となったかのように、誰とも言わず自然、駆け始めた。


 俄かに空気が更に重くなったのを知る。

 追ってくるとは思わなかったのだろう、荼吉尼天は此方の姿を見て一瞬、忌々しそうな顔をしてみせた。

「容易く此の世界を喰らえるかと思ったのだけれど、駄目ね。龍神の神子たち、……白龍の神子。残念ね、あなたが女であったのならば、私にとって最高の器となったでしょうに……。本当に、可哀想な子」

 ――茶吉尼天は、知らなかった筈だ。

 だと言うのに其れを知っているのは矢張りあの時に何かを“喰われた”というのとなのだろうか。

 同情的な眼差しが厭に癇に障った。

 そのくせ、「女であったならば」という尤も忌み嫌う台詞を皮肉たっぷりに吐き出してくる。

 ……別に、喰われて困るような記憶など何一つない。

 いっそ全て喰らってくれれば良いと思う程だ。

 此の世界での辛い記憶も、……彼女を、好きだと感じた心も全て喰らえば良かったとすら思う。

 だが、如何しても荼吉尼天の口振りが苛立ったのだ。

「それはお生憎様。でも俺にしてみればラッキーだったよ。お前みたいな性悪に北条政子みたいに乗っ取られたりされなくて」

 吐き出すように言葉を紡げば、荼吉尼天は瞬時、愉悦そうに笑ってみせた。

 其れは俺の発言が面白かったからではない。

 己よりも下の者が良く吼えていると蔑むような笑みだった。

「私は乗っ取っていたわけではありませんわ? もう一人の私が、力を欲したの。鎌倉殿の力になりたいと強く願ったの。……だから、叶えてあげましたのよ。ねぇ、私、何かあなたがたに恨まれるようなことをしましたかしら? 首を絞めるように指図はしたけれど、あなたは死ななかったわ」

 ――正直なところ、その通りかもしれないとすら思った。

 荼吉尼天と対峙したのは事実上初めてで、清盛を喰らった事も、怨霊を封じただけと言い切られてしまえば終わる。

 ……最初の時も、荼吉尼天は何もしていない。

 人の願いを叶えることは“神としては当然のこと”なのかもしれない。

 茶吉尼天の言葉を否定するつもりはない。けれど。

 朔の心の傷を、抉ろうとした。

「……俺たちとお前は相容れない、其れだけ。此の世界を食い尽くされても困る」

 これ以上のお喋りは無駄だと言うように、皆一様に剣を構えた。

 一人では勝てないかもしれない。

 けれど、皆がいる。仲間がいる。……傍に居てくれている。

 ――負けるわけがない。そう確信していた。



「ぐ、ッ! 龍神の神子! よくも……!!」

 多勢に無勢だと言われても仕方の無い状況だったにも関わらず、戦局は常に危うかった。

 荼吉尼天が崩れ落ちかけた今、皆もボロボロに傷つき、立っているのすらやっとだった。

 負けるわけがないと先程思ったのは確かだったが……清盛が荼吉尼天に傷を負わせていなければ或いはという考えが頭を過ぎる。

 苦しめられた存在である筈なのに、こんな形で助けて貰うことになるとは露とも思わなかった。

「終わらせない……! 終わらせない終わらせない終わらせない! 此のままでは終わらせませんわ……! 私は必ず、必ず……ぐ、グアアアアアアアアァ!」

 ……其れが、最期の言葉であったかのように荼吉尼天の姿は消えた。

 サァ、と光が差し込むように空を覆っていた雲が散って行き、世界を柔らかな夕暮れが包み始める。

 荼吉尼天の最期の言葉が如何であれ――終わったのだと、そう、世界が教えてくれているような気さえした。

 暮れなずむ景色を見詰めている間、譲が皆に自分の家に来るように勧めていた。

 ――難色を示したのは、ただ一人。

 裏切ろうとした自分が、此の場に居てはいけないのだと信じ込むように顔を翳らせる君。

 ……そんなことはないんだよ、朔。

 誰より一番傍に居て欲しいと願っているのは、俺なんだから。

 だから、その気持ちを伝えたがるように、真っ直ぐに彼女を見詰め、俺は笑った。



「……帰ろう、朔」




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