「――ッ!」
首に絡み付いていたものが、不意に姿を消した。
酸欠状態になっていたのか頭がぐわんぐわんと痛み、視界は霞んでいた。
重い頭に手を添えつつ躯を起こし、己の首に手を掛けていた彼女を探した。
「……朔!」
彼女は直ぐ傍らに弾き飛ばされたように崩れ落ちていた。
「荼吉尼天、好きなようにはさせないよ」
厳かとすら感じられる白龍の声が響く。
「ごめ、なさ……い。わた、し……とんでもない事を……しようと……ッ!」
我に返ったような呟きを漏らし、嗚咽を堪えるように身体を震わせ泣き崩れる彼女に掛ける言葉が見つからない。
正視していられなくて、白龍の方へと視線を向けた。
力の奔流が光となりて白龍の周りを包み込んでいる。
――未だ、彼以外に動いているものは居ない。
なれば白龍こそが朔を止めたのだろう。
「まあ、怖い。仕方ありませんわ、あなた方のことは諦めましょう。……素敵な場所も、見つけられましたわ」
悠然と微笑む女に何処か空恐ろしいものを感じ、背筋が凍る。
――リィ、ン。
ぼやけた意識の中、何処かで鈴の音が鳴っているのが聞こえた。
静かな、其れなのに力強い鈴の音が。
荼吉尼天と頼朝が、緩やかに言葉を交わす。
荼吉尼天に言う、新たな世界に行くようにとの頼朝の声は、此れまで聴いた事がない程に優しいものだった。
身体から徐々に力が抜けて行く。
意識を手放す刹那、瞼の裏に懐かしいあの世界の風景が広がっていた――。
「神子、大丈夫か?」
掛けられた声に、ふっと意識が浮上してくるのが解った。
荼吉尼天に襲われたからか、其れとも、単に酸欠になったのかは判別がつかなかったが、そんなことは如何でも良いのだ。
頷いた姿を確認してからか、景時が静かに、北条政子が倒れたと告げる。
ぼんやりとする頭を振りながら、考える。今、景時は“政子様”と言い、“荼吉尼天”とは言わなかった。
――其れがどんな意味を指すのか、薄々感じながら。
「荼吉尼天は……?」
「あれは……」
少しだけ、言い難そうに口篭った敦盛は、一拍の間を置いた後に姿を消したと続けた。
嗚呼、予想通りかと溜息が漏れそうになる。
恐らく間違いはないだろう、荼吉尼天は――
「俺たちの世界に向かった、か」
其れは予測にしか過ぎなかったが、意識を失う手前に聞こえた荼吉尼天と頼朝の会話からしてみても最早そうとしか考えられない。
驚いたような顔をする面々を他所に、そっと胸元の逆鱗を握り締めた。
此の力を使えば、きっと時空を越える事が出来る。
彼女を助けたいと願い、此方の世界に戻ってきたあの時のように。
「……あんな世界、ほんとは全然、如何でも良いけど」
「ノゾミ?!」
驚いたような将臣の声に、少しだけ無理して笑顔を作って、皆に向けた。
「でも、此れってやっぱり俺の所為だよね。そんなの後味悪いよ。だから、俺――行くよ」
一人で立ち向かえるような力があるかなんて、解らなかったけれど。
でも、一人で立ち向かえる勇気があるよ。
「……おい、ノゾミ。オレたちを置いて行くつもりなのかよ」
咎めるようなヒノエの声に、仕方の無いことなんだよと返す。
満足な別れも出来ないままに皆と別れるのも、此の想いを抱えたまま帰るのも、本当は凄く、厭だったけれど。
でも、行かなくてはならないんだっていう義務感があった。
恐らく、此の逆鱗では皆と共に時空を越える事は叶わない。
逆鱗を強く握り締め、元の世界に戻ることを願いかけた時、白龍が、其れを止めた。
「神子、一度だけなら……皆で時空を越えれる力を使える」
一度だけ。
其れでは戻れなくなるではないかと口を開く前に、皆が口々に「構わない」と言ってくれる。
今は、茶吉尼天を何とかする方を先に考えるべきなのだと――。
「……朔」
其れまで、会話に加わる事の無かった朔が、目を赤くして目の前に立っていた。
もう涙は流れていない。
ただ、哀しみを宿した瞳が静かに此方を見ているだけ。
「ごめんなさい、ノゾミ……赦してくれだなんて、言えないわ……けれど。……けれど、お願い。……私も、連れて行って頂戴」
ぎゅ、と手を胸の前で組み合わせ、悲鳴のような懇願が、朔の口から零れ落ちる。
そんなに悲痛な顔をしなくて良い。
一緒に来てくれるって、その言葉だけで不謹慎にも少し、自分は喜んでしまっているのだから。
まだ傍に居られる、そのことが幸せだと思っていて……
……黒龍が君と一緒にならずにすんで、安心してしまっているのだから。
「――勿論だよ」
自分の存在が彼女を傷つけているというのに、こんな醜い事を考える自分が恥ずかしかった。
そんな自分を認めるのが怖くて、其れ以上言葉を紡げない。
そうしているといつの間にか眩い光が周りを囲み、時空を越えるという感覚が身体を包み込む。
全ては荼吉尼天を倒す為。
今度は、一人きりじゃない。
――皆で越える時空。
其れは何処か暖かく、力強いものだった。
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