比胡が釣ったという魚が食卓に並んだ食事の間中、私は何度も何度も比胡の様子を伺い見ていた。
最初から視線には気付いていたのだろうが、まるで知らぬふりをしていた比胡。
けれども私の視線が何度も注がれる事により、徐々に不機嫌な色が顔にと表れる。
かと言って不平を漏らすわけでもなく、比胡はただ淡々と食事を事務的に口に運んでいた。
そして食事を終えると早々に席を立つ。
「比胡? もう行くの? もう少し此処に居れば良いのに」
少し不思議そうな素振りを見せながらも提案する白龍は、比胡に悪い印象を持っていない一人だ。
故に、比胡が席を立つことを引き止めようとする。
「嗚呼、先に失礼させて貰う。――不躾な視線に晒されて迄残る必要など感じぬのでな」
皮肉めいた……いや、実際には私に対する皮肉以外の何でもないだろう、比胡の口から冷たい音が奏でられる。
そして、そのフォローもさせて貰えないうちに比胡は己が室へと戻っていった。
片足が悪く、緩やかにとしか言えぬ足取りであったのに……私は比胡に対して何もいう事が出来なかった。
「……ごめんなさい」
比胡が不機嫌になった要因が自分にあり、また比胡が不機嫌になったことで飛び出した言葉は自分のせいであると自覚していたから私は咄嗟に謝罪を入れていた。
その意図を凡その皆は分かってくれていたようだったけれど、本当の意味で視線を向けた理由を理解してくれていたのは二人だけだったと思う。
先生と、敦盛さんだ。
先程比胡の話をしたからだろうかと言う視線を敦盛さんが送っていることを感じた。
「彼は……どうしてああやって俺たちを避けるんでしょうか」
躊躇ったように譲くんが切り出し、より何とも言えぬ空気が辺りを包み込んだ。
その問いに答える声はない。ただその代わりにヒノエくんがある話を切り出した。
「何時までも避けてるのは逃げてるみたいで嫌でさ、この間、ちょっと比胡と話してみたんだ」
……何時の間に。
ヒノエくんが最も比胡を厭っていたのは周知の事実だ。
根本的に合わないのだと皆知っていたからこそ、ヒノエくんの発言に一様に驚き、注目した。
「何だかんだ言いつつあいつの知識は凄いよ。そりゃ腹が立つくらいにね。仏教知識にすら異様に精通していて修業を積んだとしか思えない程だった」
饒舌に語られる話の意図が見えず、誰も口を挟むことをしない。
「オレは比胡がいけ好かない。――それで、少し調べさせたんだ。アレだけ仏教方面に知識があるんなら、ってね。比叡山に人を遣って」
比叡山、と出てきた単語に私は首を捻った。
聞いたことのある名称だけれども、此の場合其れは一体どういう意味を指すのかまでは解らない。
「仏教に関する修行を積む者は殆どと言って良いだろう、比叡山に登る。まぁ、勿論其れは男だけだけどね。ただ、今の比叡山の腐敗は周知のこと。――正直な話、山の麓にでも女を囲ってたりしたら面白い、と。そう思ったんだけどね」
思わせぶりな言葉を発するヒノエくんに、私は思わず眉を顰めた。
先日は神職であることを除外し、今度は僧であるかもしれないと疑っては、堕落していると指摘したのだろうかと。
それに、仮説であれ何であれ、……そんな比胡の姿を想像したくはなかったから。
けれども、此の話には続きがあった。
「おっと、姫君。そんな怖い顔しないでくれよ。オレだって本当に疑ってたワケじゃない。ただ、“仲間”として此れからもやって行く以上素性が知りたいと思うのは仕方のない事だろ? 信用出来ないヤツを野放しにしておくのは余りにも危険だ」
軽く肩を竦めて軽快に言い放つ姿から見ると、その言葉に嘘偽りはないのだろう。
……そう。ヒノエくんだって人の上に立つ身だ。
仲間になる者の事に対する見極めは厳しいものであったも仕方ない。
「……確かに、ヒノエの言う通りだな。仲間を疑う事は心苦しいが、不明瞭な点が多すぎる」
釈然としない素振りを見せながらも九郎さんが同意してみせるのも仕方のない事。
だが、その言葉にヒノエくんは些か申し訳無さそうに眉を寄せた。
「悪いね。残念なことにそんな事実はなかった。いや、そもそも比胡が比叡山に居たという事実もなかったし、比胡の過去を知る者すら存在しなかったんだ」
「え?! どういう事だい?」
予想外と言えば予想外な台詞に、真っ先に食いついたのは景時さんだった。
確かに、今までのヒノエくんの口振りからしてみると完全に正体が掴めたとでも言い出しかねないものだった。
「そのまんまの意味さ。一番古い目撃情報でさえオレたちが比胡と逢う一ヶ月程前のこと。……見たって言う村の人々はやけに信心深くてね、水に棲む神様が育てた御子だと信じて疑ってなかったよ」
つまりは、其れ以上の情報は聞き出せなかったということ。
だか、その話は神話的でありながらも妙に現実感を帯びて聞こえた。
何故なら此処には龍神が居て、其の力を受けた神子も居る。
ならば他にも何らかの神の加護を受けて来た者が居ても可笑しくはないのではないか、と。
「――比胡は水の神の加護を受けている事には変わりない。その可能性は十分にあるよ」
静かに、紡がれた白龍の言葉に、私達はその可能性をますます真実のように捉えるのだった……。
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