師が静かに息を引き取ってから、幾年も歳月が過ぎ、何時しか己は何も為すことが出ぬまま朽ち果てて行くのではないかとすら考えることもあった。

 だが、師が――いや、安倍泰親が予見した通り、ある時源氏の若者が鞍馬の山を訪れた。

 たとえ何年経ったとてあの男に対する複雑な感情は変わらなかったが、その先見の力だけは本物であるのだと認めざるを得なかった。

 いや、正直に言うと嬉しくすらあった。

 あの男の力が本物であると言うのならば、己は必ず神子に逢える。

 神子だけは、失うわけにはいかない……。

 師に続き神子すら失ってしまったのならば、己が今まで生きてきた意味すら失われてしまうのだから。

 そう、総て万全を期す為に九郎に剣を教えたのだから。

 皮肉なものだった。

 あれ程剣を極めることに苦戦していた己が、何時の間にか教授する側に回っていることが。

 九郎は、自分が思い描いていたものよりも随分と良い生徒であった。

 最初こそ鬼の風貌に警戒をしていたようであったが、心根が真っすぐであったのだろう、直ぐに己を師として慕ってくれていることが知れた。

 その気性を表すように、九郎の太刀筋は真っすぐで迷いない。

 善きことだと思いながらも一抹の不安も拭えず、剣だけではなく、戦法もよくよく学ぶように託けた。

 ずっと傍で剣術を学ぶことはなかったが、九郎は己の教えを良く守った。

 自分が神子を護る八葉であるのならば、九郎もまた、八葉であるのならば。

 九郎を鍛えることは間違いではないのだと。

 ただ、疑いもなく自分を師と仰ぐ九郎を見ていると心苦しい気持ちになったこともある。

 己は神子の役に立つようにと九郎を鍛えた。

 恐らく神子のことがなかったのならば九郎を鍛えることも、或いは姿を現すことも無かったであろう。

 今如何思っていたとて、きっかけはそんなものであったのだから。

 純粋たる善意ではなかったのだから。

 真っ直ぐな瞳が苦しくて、幾度もお前を鍛えているのは神子の為だと言いかける。

 けれど其れを告げることは叶わなかった。

 ――恐れていたのだ。

 己を信じきった目が、豹変してしまうのが。

 そして何より、そう言われた時の九郎の気持ちが何より解っていたからこそ言えなかった。

 唯一と信じていた師が己の為にしてくれたと思っていた事が本当は別の誰かの為であった。

 ――己が師を慕っていたが故に、その辛さは容易に想像出来た。

 少なくとも、心を痛めさせたくないと思う程には九郎を良く思っていたのだから。

 ……だから、言えぬままに別れた。


 そして、更に時を重ね、“承久”と年号が改まった時、遂にこの時が来たのだと悟る。

 承久三年。

 それは、龍神の神子が姿を見せるとされている年であった――。





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