「――涙、か」
先刻まで此の腕にしがみ付く様にして泣きじゃくる彼女の姿を思い起こし、自然言葉が洩れた。
涙が収まった後も彼女は黙したまま何も語らず、ただ「取り乱してごめんなさい」と謝罪を繰り返すばかり。
今では落ち着きを取り戻したように他の人々と笑って会話をしている。
――表面上は。
あれ程までの激情を見たからか、彼女が真に笑っているようには見えない。
何処か無理をしているような、そんな印象すらある。
泣き崩れる前とは一線を画したような雰囲気すらある。
其れを懸命に悟られるようにしているのが余計に痛々しくすら見えた。
変わったのは、あの瞬間より。
あの一瞬に何があったのかなどと、推測してみたとて答えが出る筈も無い。
「馬鹿馬鹿しい」
唇から溜息を洩らし、深く詮索するようなことでもないと自分に言い聞かせる。
自分と彼女はそうまで干渉し合うような仲ではないのだから。
ただ、神子と八葉という繋がりでしかないのだから。
……そう思うと言うのに、あの涙を思い出しては彼女の事で頭が占められている。
其の涙の意味を知りたいと思っている。
今そんな所まで考えるだけの余裕があるわけではないのに、如何して。
「おい弁慶。結局姫君は如何したんだ?」
不意に聞き慣れたヒノエの声が掛かった。
声を掛けられるまで気付かなかった自分の不注意さに苦笑しながら、其れまでの思考を押し込め何でもないような笑みを浮かべてみせた。
「語ってくれないことには何とも。彼女が言うには少し情緒不安定になっただけだそうですよ。……希望により、睡眠薬を少々渡しておきましたが」
一体何をその胸に抱えているか解らないために、極々少量。
其れも極めて効力の薄いものを、だ。
無いとは思うが、思い余った行動に出られても困るからだ。
「……良くわかんねーけど思い詰めてなきゃいいんだけどよ」
ヒノエなりに彼女の身を案じているのか、髪の毛をクシャリとしながら呟いてみせる。
本人を目の前にしてではなく今此処でそう言うのは心底心配している証なのだろう。
「何にせよ此れは望美さんの問題ですよ。僕等が口出しするような事では無いのかもしれません」
そう言った時の僕は、一体どんな顔をしていたのか……、兎も角、ヒノエには余程冷たいものに見えたのだろう。
まるで批難するようにヒノエは表情を歪めていた。
「そーかもしれねぇけどよ。……冷たい男だよな。望美は真っ先にアンタに縋ったって言うのに」
それきり言葉を重ねる事も無く、ヒノエは溜息と共に片手を振ると去って行く。
其の先の行動が読めるわけではないが、恐らく彼女のところへ言って冗談めかした台詞を紡ぎ出し、心を和まそうとするのだろう。
そう言った面での気遣いは良く出来る甥だと心密かに思う。
一人になると再び、彼女の事が頭を掠めた。
冷たい男だとヒノエは言ったけれど、本当に心まで冷たく凍ってしまえればどれだけ良かった事か。
現に今、彼女が縋るように伸ばして来た手と涙の熱さが忘れられず、思い悩んでいる。
――嗚呼。こんな事で悩んでいる場合ではないと言うのに。
ただ戦を終らせる事のみを考えていれば良いと言うのに。
「……君が、僕にしがみ付いて泣くからいけないんですよ……」
今此の場に居ない彼女に向けて責め苦を呟いてみても詮無き事。
本当は自分でも解っているのだ。
何より責められるべきなのは、君の涙に振り回されている僕自身だと言う事を。
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