■同じ空の下 7
 形勢を逆転させた形で勝利と終わった戦は、知盛に予想以上の高揚を覚えさせた。
 ――漸く、見つけた。
 此方を狩ろうとする獣のような眼に、陣を引き平家へと戻った今更ながらに戦慄する。
 切りつけらた傷を撫でるように、己の腹部に指を這わす。
「……ック」
 薄皮一枚を切った程度に過ぎぬ傷、其れでも触れれば痛むのは当然。
 だが、知盛が漏らした呻きは痛みというよりも愉悦を堪えきれなかった、と云った方が正しいようだった。
「矢張り本物で無いと駄目だった……か」
 身に着けた逆鱗を服の上より撫で付けるように指を動かした。
 僅かに熱を帯びている、そんな気がした。
「……本来の主の元に帰りたいのか――?」
 手渡したのはその女だ。
 そう、白い龍の逆鱗に語り掛けた。
 ……此れを使い、男は幾度と無く時空を越えた。
 最初こそ女の姿を追っていたが、幾度出逢えどもあの時合間見えた神子よりも女は“劣って”いた。
 剣の腕は勿論の事、此方と戦う時に“出来るならば戦いたくない”という意思をひしひしと匂わせていたのだから。
 とんだ興醒めだった。
 何時しか女を追い求めることを止め、飽くなき殺戮へと身を投じた。
 其れは娯楽であったと言っても過言ではない。
 源氏の神子の周囲の人間を殺す度、女は幾度でも憎悪の感情を込めて此方を睨みつけてくる。
 そして怒りに任せ向かって来た女を切り刻むのだ。
 女の血潮は温かかった。
 其の血を浴びる為だけに何度も時空を廻った。
 何時しか其れにも厭き、気紛れに源氏の神子を誘ったりもした。
 ――実に下らない時間であった。
 剣を振るって居ない女は、初心の娘のように面倒臭かった。
「……そう、あれは失敗だった」
 一人ごちるように呟く知盛の肩を、不意に叩く者が現れる。
 緩慢な動作で振り向くと、其処には源氏の神子と同じ世界から来た、知盛の“兄上”が立っていた。
 今居る場所が廊下であるとは言え、普段ならば此処を通らぬ男が居る。
 ならば其れは知盛に何か用があるのだろうと容易に想像がついた。
「何が失敗だったって?」
 気安く声を掛けてくる男に、知盛は歪に笑って見せる。
 そうして、「別に」と掠れた声音で言うと視線を逸らした。
「……ま、別に良いけどな。……今回の戦、助かった。サンキュ」
 唐突に切り出された言葉に、矢張りと云った風に知盛は密かに眉を寄せた。
 何故その場に居たわけでもない男に礼を言われるのか、納得が出来なかったからだ。
 ――そう、殺戮を愉しむ為にあの場に居た知盛にとっては。
「別に……用が其れだけなら、兄上には失礼だが、下がらせて貰おう」
 別段他に用があったわけでもあるまい。
 そう知盛が考えた通り、将臣は引き止める事もせずに知盛の背を見送った。

「……兄上も、中々に愉しめた……」
 ぽつり、と小さく言葉が漏れる。
 此処数回繰り返した時空では、将臣と剣を交える事を愉しみとしていた。
 己が最初に出会った神子には及ばないとは言え、将臣との“殺し合い”は遊戯としては最高だった。
「――怒りに我を忘れていたのが敗因か」
 今、此処に知盛が残っている。
 其れは即ち将臣の死を意味していたのだった。
 ――それにしても、有川が幼馴染の事であそこまで取り乱すとはな。
 此れより一つ前の時空で、知盛は源氏の神子を無理矢理に犯し、其の後殺した。
 身も、心も…陵辱し尽くした……。
 其れは単なる余興に過ぎなかったが、予想以上に将臣は怒り、知盛を殺そうと襲い掛かって来た。
 あの時は流石に血肉が踊った、と知盛は愉悦を堪えきれずに哂った。
 余りにも愉しめたものだから、もう一度、と……思ったのだが。
「……だが、もう用済みだな……」
 あの女と出逢えた以上、其れ以上に価値のある事などない。
 どんなものよりも心を熱く高ぶらせてくれる存在……。
 最早此れは、愛着や劣情と言っても間違っては居ない。
 時空を越え、“別”の源氏の神子と解っていながらも、女と好い仲の男を見る度に残虐に殺してしまう程に、執着していた。
 其れ程までに固執した女が、此の同じ空の下に居る……。
「――そう考えるだけで、今夜は眠れそうにない……」
 高揚した声で囁くように呟くと、知盛は瞼の裏に“愛しい”女の顔を思い描いた――。
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