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第三話:不可解な相違
 比胡を形容するにはひとつの言葉では足らない。
 怜悧。皮肉屋。傲慢。無慈悲。冷酷。
 幾つも言葉は思い浮かんでくると言うのに、良い意味でのものは何一つ見当たらない。
 人を寄せ付けようとしない態度は何処に行っても浮く。
 其れを気遣う素振りを見せると逆に迷惑甚だしいと言わんばかりに一瞥されるのだ。
 そんな人、好かれるわけがない。
 正直に言うと彼の戦闘技術は優れていて、頼りになる。
 だがやがて、共に行動をしていると息が詰まりそうだと誰しもが言うようになっていた。
 私は八葉の皆の意見に同調しながらも……偽善だとか、そんなものではなくて。何故だか、比胡が気に掛かって仕方が無かった――。

 ………………。
 梶原邸の庭先を散歩していると、誰かが会話をしているのか僅かながらに音が聞こえてきた。
 落ち着いた柔らかな音は、良く聞きなれた女性の声。
 そして、少し冷たい感じのする声は…………比胡の、声だ。
 その時何故だか咄嗟に二人の様子を伺うように息を潜め、見えないだろう位置で足を止める。
 紡ぐ声が聞こえるような位置にいる自分に「立ち聞きは良くない」と言ってやりたいような気になりながらもその場から動くことは出来なかった。
「――比胡殿は釣りがご趣味なの? 少し、意外だわ」
 台詞に違わず些か驚いたような声を朔が出す。
 ……私にしてみれば、二人がそんな風に和やかに会話を交わしているというのが意外な話。
 でも、朔の様子からは珍しいことをしている様子は全くなくて、今まで幾度となくこうした他愛無い会話を交わしている事が知れるのだ。
「意外……か。そう言われても否定は出来ぬが、悪いものではない」
 意外と言われたことに怒りもせず、此処からでも覗える表情は相変わらず無に近かったが、冷たいものではなかった。
 ……私とは、趣味の話をしたこともないし、常に冷たい態度を取るのに。
 最初から感じていた違和感が再びふつふつと胸に沸き起こる。
 何をしたわけでもないのに、こんな態度の違いは理不尽で、その事に対する怒りの感情なんだろう。
「ふふ。私も今度御教授願おうかしら。……嗚呼、そろそろ行かないと」
 唇に手を添えるようにして優美に笑ってから、少しばかり名残惜しそうに朔が比胡にそう告げた。
「そうか。ならば朔、気をつけて戻られよ」
 其れに対する比胡の言葉は短くとも気遣いに満ちていて……。
 あれ?
 ちょっと、待って。
 比胡は今、朔の事を何て呼んだ?
 朔、って。呼ばなかったっけ……?
 有難うと笑って別れを告げる朔は、其れを当たり前のように受け止めて、いて。
 あれ、……あれ?
 私はなんて、呼ばれてたんだっけ……?
「……白き龍の神子、何時まで其処にそうしているつもりだ」
 緩く腕を組み、冷たい色の瞳に更に咎めるような色を含み、私に声を掛ける。
 ――白き龍の神子。
 其れが彼が私を呼ぶ時の名。
「あ、ああ。気付いてたんだ。ごめんね、別に、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど……」
 ゆっくりと向き合えるような位置まで出ると、内心の動揺を隠して言い訳を口にする。
 けれど比胡はそんなことには興味が無いように直ぐにふいと顔を逸らしてみせた。
 ……矢張り、私に対する態度は頑なで、朔に対するものとは全く違う。
「つ、釣りが好きなんだってね? 今度私、ついて行きたいな」
 気を取り直すように努めて明るく言ったけれど、比胡はこれ見よがしに深い溜息を吐くと、蒼穹の色をした髪を揺らすように緩々と頭を左右に振った。
「私にとって釣りは一人で思索に耽る為にするものだ。邪魔は止めて頂きたい」
 はっきりとした拒絶の言葉は、時にどんな怜悧な刃物よりも傷を抉る。
「何で、そんな風に言うの。……呼び方だって! 朔のことはちゃんと名前で呼んでるのに、何で私は“白き龍の神子”なのよ!」
 感情が爆発するように、遂には押さえきれなくなって吹き出した。
 比胡は其れに眉ひとつ動かさずに、関係ないだろうと言わんばかりの視線を向けるだけ。
「お前が望まなかったからに過ぎぬ。……言いたい事は其れだけか?」
 望めば、呼んでくれるというのか。
 その問い掛けさえも聞き入れてくれぬように、比胡は予め定められていたように私に背を向けた。
「私は邸に入る。……ではな、“白き龍の神子”」
 態々強調をするように呼び掛けて、軽く足を引くようにして歩き出す。
 ――追いつこうとすればすぐさま追いつけただろうに、私は何故だか其れが出来なかった。
 ……如何して。何故。
 私と彼女では一体何が違うのだろう。
 ううん、彼女だけではない。
 比胡は私に一番冷たい。まるで、相容れない者を見るかのような目で私を見据える。
 納得の行く理由があれば良かったのに、理由がまるで解らないから私はただ困惑するしかない。
 何が違うの。何がいけないの。
 ……最後まで比胡に名前を呼ばれなかったことが、酷く悔しくて……とても、悲しかった。



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