■名を継ぐ者 4
 時折師は庵を離れたかと思うと、様々な土産を持ち帰ってきた。
 珍しい書物、知識、情報――更には、鬼の能力の使い方。
 そして……鬼の、隠れ里のこと。
 時折、「お前の故郷だ。一度訪れてみないか」と問い掛けられたりもしたけれど、リズヴァーンは頑なとして首を縦に振らなかった。
 行く気はない――。
 どれほどの時を飛ばされたのかは解らないが、あの地に今一度踏み入れるだけの勇気はなかった。
 何処で情報を仕入れてきたのですか、と問い掛けても何時も言葉を濁される。
 最終的には「答えられない」の一点張りとなり、やがて知識の出所を聞くことは無くなった。

「リズ! 吉報だぞ!!」
 けたたましい足音と共に、師が駆けてくるのが解る。
 途中、バリッと言う音がして、また床板を踏み抜いたであろうことが分かった。
 読みかけの本を閉じ、リズヴァーンは緩く溜息を吐いた。
 だん、と踏み止まる音が聞こえ、部屋の入り口を見やると、師が柱に手を着いて呼吸を整えているのが視界に入った。それがずいぶんと苦しそうに見えて、リズヴァーンは顔をしかめる。
「お年ですか?」
「あぁ、最近すぐ息切れしてなぁ……ん?おい、私はまだ現役だぞ」
 げほ、と小さく咳をしつつも、師の顔は笑っていた。
 相変わらずの乗りの良さに些かの安堵を覚えつつ、何が現役なのだろうとリズヴァーンは微かに思った。
 長く共に暮らせば暮らすほど、師は子供のようになっていると思う。
 出会った頃よりも顔には皺が増えたが、それ以外に年令を感じさせるものはなかった。
 白濁した、何も映さない筈なのに何もかもを見据えているような瞳もあの頃のままだ。
「それで……何が吉報なのですか」
 静かな動作で席を立ち、リズヴァーンは水差しを傾け碗に水を注ぐと、師に差し出した。
 水が注がれる音でリズヴァーンが何をしているのかは察知できたのだろう、差し出された碗は極々自然に男の手に取られた。
 小さく礼を告げ、其れを一気に呷ると、ひとつ、息を吐いて笑みを深くする。
「――神子が、此の地に現れる大まかな時代が、解った」
 師が紡いだ言葉に、リズヴァーンは小さく息を飲み、無意識のうちに懐の内に仕舞った儘の逆鱗を握った。
 今、師は何と言ったのか……?
「以前に話したと思うが、星の一族と……知り合いの陰陽師に協力して貰った」
 信じていいのだろうか?
 初めて逢った、あの頃に似た感情がリズヴァーンの胸に込み上げる。
 其れは師に対してではない。見た事も無い、協力者達に対しての感情。
 信じることに対する恐怖は、未だ心の奥底に染み付いている。
 ……彼らが、本当の事を言って居るとは限らないのだ。
「恐らく今より二十年程先の話だ。“承久三年”に、神子は現れる筈だ」
 承久、と、口に出して呟いてみても実感が沸かない。
 不意に、リズヴァーンの空いた手を、男が掴んだ。
「――信じろ。私は言った筈だ。お前と神子が出逢ったのも龍神の導きだ、と……そのお前が、神子と関らずに生を終える事はありえぬ」
 力強い言葉と手は、少なくとも心を解すには十分であった。
「……はい」
 ……この人だけは、信じられる。
 そんな気持ちが込み上げて来て、自分で思っていたよりも随分とこの男を信頼しきっているのだと、リズヴァーンは驚いた。
 不思議とそれは、悪くなくて、些か気恥ずかしいような、そんな感情。
 視線を僅かに師に向けると、彼は、とても穏かな表情をしたまま手を離した。
「……今度、鬼の里の近くまで案内しよう。……何にせよ、一度、行ってみると良い」
 生きている者は、もう居ない場所。
 ……今までは、足を運ぶのが怖かった。
 しかし今、如何言うわけか、その恐れは微塵もなくなっている。
 こんな時にも、師の偉大さを感じさせられた気がして、リズヴァーンは小さく頷いたのだった。
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