形勢を逆転させた形で勝利と終わった戦は、知盛に予想以上の高揚を覚えさせた。

 ――漸く、見つけた。

 此方を狩ろうとする獣のような眼に、陣を引き平家へと戻った今更ながらに戦慄する。

 切りつけらた傷を撫でるように、己の腹部に指を這わす。

「……ック」

 薄皮一枚を切った程度に過ぎぬ傷、其れでも触れれば痛むのは当然。

 だが、知盛が漏らした呻きは痛みというよりも愉悦を堪えきれなかった、と云った方が正しいようだった。

「矢張り本物で無いと駄目だった……か」

 身に着けた逆鱗を服の上より撫で付けるように指を動かした。

 僅かに熱を帯びている、そんな気がした。

「……本来の主の元に帰りたいのか――?」

 手渡したのはその女だ。

 そう、白い龍の逆鱗に語り掛けた。

 ……此れを使い、男は幾度と無く時空を越えた。

 最初こそ女の姿を追っていたが、幾度出逢えどもあの時合間見えた神子よりも女は“劣って”いた。

 剣の腕は勿論の事、此方と戦う時に“出来るならば戦いたくない”という意思をひしひしと匂わせていたのだから。

 とんだ興醒めだった。

 何時しか女を追い求めることを止め、飽くなき殺戮へと身を投じた。

 其れは娯楽であったと言っても過言ではない。

 源氏の神子の周囲の人間を殺す度、女は幾度でも憎悪の感情を込めて此方を睨みつけてくる。

 そして怒りに任せ向かって来た女を切り刻むのだ。

 女の血潮は温かかった。

 其の血を浴びる為だけに何度も時空を廻った。

 何時しか其れにも厭き、気紛れに源氏の神子を誘ったりもした。

 ――実に下らない時間であった。

 剣を振るって居ない女は、初心の娘のように面倒臭かった。

「……そう、あれは失敗だった」

 一人ごちるように呟く知盛の肩を、不意に叩く者が現れる。

 緩慢な動作で振り向くと、其処には源氏の神子と同じ世界から来た、知盛の“兄上”が立っていた。

 今居る場所が廊下であるとは言え、普段ならば此処を通らぬ男が居る。

 ならば其れは知盛に何か用があるのだろうと容易に想像がついた。

「何が失敗だったって?」

 気安く声を掛けてくる男に、知盛は歪に笑って見せる。

 そうして、「別に」と掠れた声音で言うと視線を逸らした。

「……ま、別に良いけどな。……今回の戦、助かった。サンキュ」

 唐突に切り出された言葉に、矢張りと云った風に知盛は密かに眉を寄せた。

 何故その場に居たわけでもない男に礼を言われるのか、納得が出来なかったからだ。

 ――そう、殺戮を愉しむ為にあの場に居た知盛にとっては。

「別に……用が其れだけなら、兄上には失礼だが、下がらせて貰おう」

 別段他に用があったわけでもあるまい。

 そう知盛が考えた通り、将臣は引き止める事もせずに知盛の背を見送った。


「……兄上も、中々に愉しめた……」

 ぽつり、と小さく言葉が漏れる。

 此処数回繰り返した時空では、将臣と剣を交える事を愉しみとしていた。

 己が最初に出会った神子には及ばないとは言え、将臣との“殺し合い”は遊戯としては最高だった。

「――怒りに我を忘れていたのが敗因か」

 今、此処に知盛が残っている。

 其れは即ち将臣の死を意味していたのだった。

 ――それにしても、有川が幼馴染の事であそこまで取り乱すとはな。

 此れより一つ前の時空で、知盛は源氏の神子を無理矢理に犯し、其の後殺した。

 身も、心も…陵辱し尽くした……。

 其れは単なる余興に過ぎなかったが、予想以上に将臣は怒り、知盛を殺そうと襲い掛かって来た。

 あの時は流石に血肉が踊った、と知盛は愉悦を堪えきれずに哂った。

 余りにも愉しめたものだから、もう一度、と……思ったのだが。

「……だが、もう用済みだな……」

 あの女と出逢えた以上、其れ以上に価値のある事などない。

 どんなものよりも心を熱く高ぶらせてくれる存在……。

 最早此れは、愛着や劣情と言っても間違っては居ない。

 時空を越え、“別”の源氏の神子と解っていながらも、女と好い仲の男を見る度に残虐に殺してしまう程に、執着していた。

 其れ程までに固執した女が、此の同じ空の下に居る……。

「――そう考えるだけで、今夜は眠れそうにない……」

 高揚した声で囁くように呟くと、知盛は瞼の裏に“愛しい”女の顔を思い描いた――。




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