カラン、と乾いた音が僅かに離れた位置から聞こえる。
最早私の喉元に突きつけられていた剣は消え去り、無理矢理に剣の柄を離すこととなってしまった知盛が、驚きの表情を隠さずに私を見下ろしていた。
――剣の鞘は抜かず、そのまま知盛の剣だけを、払い退けた。
そう。私の心は知盛を追って飛び降りた瞬間から既に決まっていたのだから。
「――愚かな事は解ってる。私は、知盛が好きだから……こうした。殺さなかったし、殺されたくも無かった。もう、憎みたくなんて、ない」
共に生きたい。其れが、私の願いの原点。
剣を持つ手を押さえつけられてしまえば其れ迄。
知盛がその気になれば今下に敷いている私など容易に殺せる事だろう。
私が、剣を抜き知盛を斬らぬ限り勝算は無い。
でも、だからこそ賭けた。
幾度も時空を越えて――私を追って来てくれていた知盛だから。
最後の最後で私は彼を信じたい。
「……源氏を追い詰め、嘗て無い惨劇にした俺を、未だそんな風に言うのか?」
責め苦以外の何でもない。
知盛は恐らく終わらせたかったのだろう。
何度でもやり直せてしまうという不毛過ぎる運命を。
不毛だと、下らないと思っていながら繰り返し続けてしまう、自分を。
――自らの生を、手で閉じて欲しかったのかもしれない。
最も理想的な形で閉じてくれる誰かを、待ち続けていたのかもしれない。
理想的な――そう。
逆鱗を託した“私”による、終焉を。
「知らぬだろうが、お前の仲間を残虐に殺した。お前自身もだ。陵辱し尽くし懇願すら聞き入れ無かった。その俺を、赦すだと……?」
赦されることではないだろう。
そう伝えようとするように知盛は言う。
「赦さないよ。酷い事をした回数分だけ私、怒って、知盛を責める。赦せない、って、怒鳴りつける。――でも、傍からは離れない」
貴方は余りにも人を傷つけすぎました。
全てを見てきたわけではないけれど、其れは決して赦されぬこと。
ううん、赦す赦さないを私が決めて良い事ではない。
「ねえ、悪い事をしたと思ってる? 今では後悔している? ――してなくても、良いよ。私が後悔するようにしてあげるから」
貴方が心の底から“赦されたい”と願えるように。
「だから生きよう。私と一緒に生きよう。――知盛が私の事好きじゃなくったって、きっと何時か好きになるよ。逆鱗を使った旅はもうお終い。壊すばかりじゃない。私達は、“此れから”を作って行こう」
稚拙と言えば稚拙な誘い文句。
でも、懸命に紡ぐ。今の私には自分の言葉で知盛に訴えかけるしかなかった。
もう死なないで。
もう捨てないで。
私ももう、この運命を選び抜くから。
――暫しの沈黙が落ちた後、知盛は堪えきれぬように笑い出した。
可笑しくて堪らないと言うように、……狂いでもしたかのように。
「ククッ……嗚呼、お前は予期せぬ事ばかりを言うな。……“此れから”、か。……其れも、悪くない」
反芻するように言ってから知盛はゆっくりと立ち上がり、懐から小さな笛を取り出した。
ピィ――――。
口許に運んだかと思うと其の笛は信じられぬような大音量を紡ぎ出し、天高く、異質な音が響いて行く。
傍に居た身としては思わず耳を塞ぎたくなってしまう程だったが、片腕がまるで動かず其れすら叶わなかった。
「と、知盛……?」
一体その所業が何故なのか解らず、其の名を呼んでみた。
「此れで平家の軍は撤退するだろう。……聴こえていれば、の話だがな」
後は知らん。とでも言うように言い放ち、知盛はふらついた足取りで歩き出し、己の剣を回収する。
知盛は歩き出す。私に背を向けたまま、――何処かへと。
とんだ予防策の登場に、咄嗟について行けずに私は茫然とその背を見詰めていた。
と、其の背が突然止まったかと思うと、緩い動作で首だけ振り返った。
「――行くんだろう? 共に……“此れから”を作るために」
僅かに笑みすら浮かべた知盛に、最早死の影は見えない。
手を差し伸べてくれる事はなかったけれど、置いて行かれる事もない。
私は立ち上がり、知盛の方へと駆け寄った。
身体は酷く痛む筈なのに不思議と心だけが軽い。
嗚呼。私、漸く望んでいた運命を此の手に掴むことが出来たんだ。
誰に罵られようとも構わない。誰からも祝福されずとも構わない。
共に在れる、其れが私の幸せなのだから……。
――そしてこの日、源氏と平家の戦いは幕を閉じた。
平家方の指揮を執っていた平知盛の行方不明及び、平家全軍の完璧なまでの解散――。
来ると言われていた平家の援軍も、此の情報を聞き付けてか散り散りに逃げ、事実上平家は滅亡を迎えた。
其れ迄の被害とは裏腹に最終戦の被害は最小。
この奇跡とも呼べる勝利を導いたとされる源氏の神子も又、この戦以降行方不明となったと言う――。
Fin.
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