永遠とも思えるような浮遊感。
一人放り出されるような心細さ。
永い時を先生が使い続けていたからなのだろうか?
今回はそれがより一層強い気がした。
「……ッゥ!」
何度も経験した筈の宇治川、それがやけにまがまがしい場所のように感じる。
いや、実際に空気が血臭で淀んでいるのだ。
「一体、どういう……?」
茫然と漏れ出た言葉は、か細い悲鳴により遮られた。
「ッ! 朔!?」
間違いなく彼女の声だった。
朔と白龍を危険に曝してしまうなんて…!
何度も繰り返しているはずなのに、何時もと空気が違うというだけで迂闊になった自分を恥じる。
何時もと戻る場所もずれているのか、二人がずれた場所で襲われているのかはわからなかったが、懸命に悲鳴がした方に駆け出した。
「危ないっ!」
腕を押さえ膝をついている朔と、それを庇うかのように構える白龍。
二人を襲っているのは、…三人の人間、だった。
おかしいと警告が頭の中にちかちか過る。
しかし、二人に向けて白刄が振り落とされようとしているのを見て今は考えるよりも二人を救けだすほうが先だと判断し、駆ける勢いのまま鞘から剣を抜き、一人、二人と掠めるように切り付けて行く。
そして剣を振り上げた男の脇腹へと刄を突き刺した。
男が呻き、ずるりと剣を引き抜くと同時に崩れ落ちる。
二人をいたぶり気を抜いていたのか思わぬ新手の出現といきなり切り付けられた動揺により対処することもままならないでいる。
「そいつを連れてこの場から離れるなら、見逃します」
もしこの忠告が聞けないと言うのならば――。
闘志をむき出しにしたまま、血で濡れ、妖しく光剣を構えた。
向かい合った兵たちは竦み上がるように顔を蒼冷めて行く。
本能的に察知したのだろう。
もしも聞き入れなければ、その時は容赦なく制裁が加えられるだろう、と。
ヒィ、と情けない悲鳴をあげながら血塗れになった男に肩を貸しながら懸命に逃げようとしている。
その姿が大分離れた場所に行った頃、剣をぶんと振るった。
そうするだけでこの剣は刃零れの一つも知らぬように光っている。
人を切ったことを微塵も感じさせず、剣を鞘に収めると、二人の方を振り向き優しく声を掛けた。
「大丈夫?」
先程、死を覚悟でもしていたのかもしれない。
神子、と顔を綻ばせている白龍とは対照的に可哀相なくらいに蒼白になり身を固くしていた朔が、その言葉によりふぅ、と身体を弛緩させた。
「ええ……大丈夫よ。救けてくれて、ありがとう」
懸命に微笑もうとする姿は明らかに先程までの恐怖が抜け切っていない。
二人は所々に傷を負っていて、特に、先程庇っていた朔の腕の傷はそう浅くないように見える。
平気な振りをしているのを見ているのが辛いくらいだった。
このままここで暫く休ませたいのは山々だが先程の奴らが仲間を連れて来ないとも限らない。それに…。
「そんな余裕も無いみたい……。ごめん、手伝ってもらえる?」
怨霊の気配を敏感に察知し、一刀両断する。
剣の腕は日増しに上がるが、龍脈の力ばかりはどうにもならず、ここは朔の手を借りなくてはならない。
戸惑う朔を尻目にそのまま怨霊を封印し、そこで漸く何時もと同じ……いや、似た流れに持って行くことができた。
……一体、どうなっているのだろう?
朔達と共に道を進みながら考える。
何かがおかしい。何かがずれて来ている。
己の計り知らぬ所で何かが変わってしまったのだ。
「先輩、危ないっ!」
ひゅ、と何かが風を切る音、そして何かに突き刺さる音が響いた。
「! 怨霊…?!」
振り向くと一本の矢によって動きが鈍くなった兵の姿をした怨霊が立っていた。
気付かない程に深く考え事をしていたのか、と現状の危機に瀕して漸く気付く。
「くっ!」
まだ動こうとする怨霊に向かい、剣を鞘から引き抜く動作と共に、下から上へと怨霊に向かい、刃を展開させた。
「……譲くん、有難う、助かったよ」
また、此処でも少し歴史が変わって居る。
その動揺を押し隠しながら、貼り付けたような微笑みを浮かべ、声のした方向を向いた。
「いえ……先輩が無事で、良かったです」
間に合って良かった、と心底安心したように口にしている姿は、本当に心配してくれていたんだと実感出来るものだった。
「兎に角、何時までも此処に居ちゃ危ないから、……朔が一緒に来た、っていう人達の所へ急ごう」
位置的に考えると、此処は今までよりも随分と九郎さん達が居る場所より離れている。
そう、此処は、丁度――。
「……先生と、逢う場所だ……」
「え、先輩、今なんて……?」
譲くんの問い掛けは最期まで紡がれることはなかった。
それまで何も無かった、誰も居なかった筈の空間に、唐突に現れた金髪の男性の姿を見てしまったから。
「……先生」
彼は何も言葉を発しない。
此処に居る先生は、あの時私を送り出してくれた先生ではない。
逆鱗を持っているが故に此れが何者かの手によって変えられてしまった運命だと気付いているのだろうか。
如何してこうなってしまったか、心当たりはある。
その心の疚しさが彼の顔を見る事を出来なくさせていた。
「…………神子、顔を上げなさい」
その言葉に恐る恐る顔を上げると、彼は慈しむような瞳で私を見下ろしていた。
今は未だ言わなくても良いと、そう、語りかけるように。
その表情が最後の時に見送ってくれたものに酷似していて、ぎゅう、と胸を掴まれる想いがする。
ごめんなさい、ごめんなさい先生。
真実を語ってしまったら先生に責められるのではないかと一瞬でも疑ってしまいました。
これは私の決断でした。
嗚呼、貴方はどんな時でも見守っていてくれたのに…。
「……先輩、この人は……?」
「地の玄武だよ」
譲くんの疑問に答える白龍。
けれどもそれは譲くんが聞きたかった答えでは、きっと無い。
「……リズヴァーン、先生。……剣の……私の、……先生、だよ……」
あの時、見送ってくれた先生はもう居ない。
其れでも、根底は何も変わらないのだ。
彼は私の先生で、私は彼の出来の悪い生徒のまま。
そして、今回のことは私に原因がある。
――この変化はきっと、知盛に逆鱗を渡してしまったことで引き起こされてしまったのだろう。
少しずつ何かが、おかしくなっていっている。
九郎さん達の無事を祈るよう、私は、澱んだ空を見上げた……。
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