何時に無くぼんやりとしたわたしを誰も責め等しない。
誰も、わたしの想いを知らぬから。
――陽太様が妻を娶られてから数日が過ぎた。
一度たりとてその姿を見てはいない。
彼の人が選んだ女性はどのような方なのだろう。
妻にしたいと願った女性は如何言った方なのだろう……。
否、若しやすると陽太様が選んだのではないかも知れぬ。
月也殿がこの世界について教えてくれたではないか。
見合いによる結婚と言うのも昨今では多くなっている、と。
男達は戦場へ行く。生きて帰らないかもしれぬ。
なればこそ子を残して行かねばならぬ者もいるのだと。
陽太様はまさしくこの立場ではないか。
陽太様は、奥方を愛してはいない――。
「……ふん」
我ながら莫迦な考えをしたものだと鼻で笑い、愚かな思考を打ち消すように頭を振った。
そんなものは願望だ。
そうであれば良いと願う愚かな女の性だ。
恐らく自分は見知らぬ女に嫉妬しているのだろう。
……随分と女くさくなってしまったと知らず知らずの内に苦笑が洩れる。
今まで婚姻とは己が一族の地を残す為の義務だと自分も思っていたと云うのに、陽太様がそうされると思うと身勝手に苛立っている。
「――?」
俄かに邸がさざめいた事に首を傾げ乍部屋を出ると、其処で月也殿に出くわした。
突如顔を覗かせたわたしに些か驚いたように目を瞬かせたものの、月也殿はその事には触れず、柔らかな微笑を浮かべ、口を開く。
「菫、丁度良かった。今陽太が奥方を連れて挨拶に来たらしいんだ。菫も一緒においで」
陽太と逢うのも久方ぶりだろう?
そう笑う月也殿は、穏やかで。
矢張りわたしの胸のうちに咲いた此の恋心と言う薔薇の花に気付いていないようだった。
断る事も出来ず、嗚呼。と小さく声を漏らし手を引かれるようにして客間へと向かった――。
「――と申します」
緩々と頭を下げた女は、酷く大人しそうに目に映った。
顔は其れ程悪くないが、――と、そう様々な事を考え掛けて留まった。
先程と同じ、嫉妬の心が沸き起こっているのだ。
「おめでとう、陽太。先を越されてしまったね」
「お前なら直ぐに相手など見つかるだろ」
気安さが見え隠れする二人のやり取りをしている間に、己の心を奮い立たせる。
おめでとう、と……たった一言だけで良いのだ。
たった一言、笑顔と共に言えば良いのに。
……だのに、言えない。
「菫、……元気にしていたか?」
気遣わしげな声が、わたしに向けられる。
それだけでじんと胸が熱くなるような泣きたくなるような、そんな気分になる。
恋を自覚してからわたしの薔薇は花咲いた。
そして、嫉妬を知ってからわたしの薔薇は爛れてしまった。
心をひた隠し、表面ばかりは笑顔を作って、わたしはゆっくりと唇を開く。
「――ええ、わたしは変わりなく。……陽太様、御結婚、おめでとう御座います」
声は震えていなかっただろうか。
陽太様は一瞬何とも言えぬように目を細められ、其れから有難う、と返事をしてくださった。
嗚呼、何とか言えたのだ……。
そう安堵の息を吐こうとした瞬間に、ゾクリと総毛立った。
射るような視線を感じるのだ。
そっと視線を其方に向けてみると――陽太様の妻となった女性が、此方を鋭く睨みつけていた。
……彼女は女の勘で以って察したのだろう。
わたしのこの浅ましい思いを。
そして、わたしも。
彼女の視線の意味に気付いてしまった。
彼女もまた、陽太様の事を既に慕っているのだろうということを。
……其の事がよりわたしを苛立たせる。
何故そんな目でわたしを見る?
手に入れたではないか、わたしが欲しくて仕方が無かった人を。
手に入れたではないか、わたしが欲しくて仕方が無かった未来を。
――わたしの心が腐敗して行く。
嫉妬と言う名の爛れた薔薇に犯されて行く。
お門違いな視線を送ってくる女を、わたしは如何しても好きになれず――
ただ、漫然とその視線を受け流し続けた。
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