庵に向かう迄の間も、男は終始無言だった。

 其れが気にならなかったのは、気が急いていたからなのかもしれない。

 殊更に時間を掛けて歩くような男に正直苛立っていた。

「……もう直ぐ着きます」

 声に多少の棘が混じっていたのを感じ取ってか、男は緩く笑みながら手をひらりと振った。

「道は分かる。其れほど天狗の事が気に掛かるのならば、先に行ってくれても構わんよ」

 客人、と呼ぶには聊か可笑しいかもしれぬが、其れでも師の客であることには違いない。

 早く師の下へ駆けつけたいという気持ちと、先には行けぬという気持ちがぶつかり合い、困惑してしまう。

 しかし其れすらも見越したように、男は疲れたような所作をしてみせた。

「私はね、もう若くはないので早くは歩けないのだよ。其れに若者を付き合わせるのは心苦しい。――それに」

 一旦、長く言葉を切った後、男はまっすぐに視線を庵の方向に向け目を細めた。

「天狗も、お前が早く顔を見せた方が喜ぶだろうからね」

 男のその口振りに、何処か釈然としないものを抱えながらも後押しされたような気持ちになった。

 了承を示すように緩く一つ頷くと、男を残し、横道に逸れる。

 一人となった今、獣道を通って行った方が幾分も早くたどり着けるから。

 残してきた男のことが気に掛からぬと言えば嘘になったが、今は一刻も早く師の下へと戻りたかった。


「師匠!」

 庵中に響くような声を出した自分に驚きながらも、そんなことには構っておられず師の寝所へ急ぐ。

 中へ入ると、師は苦しげな様子も無く、静かに布団の上に身を起こしていた。

「師匠、寝ていないとお体に障るのでは……」

 苦しんでいなかった事に安堵しながらも、これはそういった類の病ではないのだと直ぐに思い当たる。

 それを悟ってか、師も何処か曖昧な笑みを浮かべるだけであった。

「今はもう苦しくないぞ、心配を掛けたなあ。泰親を呼んで来てくれたのだろう?」

 今までと何ら変わらぬ調子で言葉が紡がれて、胸に苦しいものがこみ上げて来るのが分かった。

 師は、今まで自分の気づかぬ所で人知れずあの発作に苦しんでいたのやもしれぬ。

 そして、今のように振舞って……決して己に悟らせぬようにしていたのやもしれぬ。

 気づけなかった自分が情けなくて、悔しくて、思わずきつく唇をかみ締めた。

「……リズ。すまなかったな。事前に話していればそれ程動揺させることもなかったであろうに……」

 緩く伏せられた師の目には、何も映っていない筈なのに常人よりも随分と広く世界が見えているような錯覚に陥れられる。

 師が気にする事なのではないのだと、反論をしかけた所で第三者の声が庵の中に響いた。

「天狗。約束通り、この安部泰親が参ったぞ」

 咄嗟に飲み込まれた言葉は、それ以上紡がせて貰える事は無かった。

 師の顔から其れまでの気遣うような表情は消え、ただ、静けさだけが残る。

「……彼の者を此処へ――すまぬが、少し外してくれぬか」

 最後に付け足されたその言葉は、とても悲しい拒絶に聞こえた――。


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