少しの逡巡の後、良いですよ、と言った彼の顔は笑顔だった。

 けれども其れが無理して浮かべたものであることに、私は気付いてしまう。

 ――そんなことにすら気付ける自分が厭になる。

 どれだけ彼のことが好きなのか、思い知らされる。

 誘いかけておき乍、動きだそうとしない私を見遣り弁慶さんはゆっくりと唇を開いた。

「此処ではし難い話ですか? だったら少し何処かへ出ましょうか」

 口調ばかりは伺うものであるというのに、言い切ってしまって後、彼は私を顧みる事無く歩き出す。

 慌ててその背に……数歩分の距離をキープして、ついて行く。

 そのまま会話を交わすこと無く邸を出て、彼は何処かへと歩き続ける。

 足は緩まない。

 私を気にする風ではない。

 ……其れが辛いと感じてしまう辺り、私は未だ未だ弱いのだろう。

「此処です」

 案内され辿り着いた場所は、何のことは無い、一般の民が住むような屋に見える。

 彼が所有しているのだろうか。

 今までこんな場所は知らなかった故につい周囲を見渡してしまう。

 矢張り彼の持ち物らしく、私にしてみれば用途の解らないものが様々置かれていた。

「……暫く使っていなかったので多少埃がしていますが。其処に座って下さい」

 何のおかまいも出来ませんが、と。

 そんな前置きをしながら言うけれども、そんなことを気にしているのならば最初からこの場所には案内しなかっただろう。

 気にしてません、とひとつ返事をして、私は示された場所へと腰を降ろした。

 弁慶さんも同じように腰を降ろし、丁度私たちは向かい合うような位置になる。

 ――何と切り出して良いのか解らない侭、暫くの間沈黙が落ちる。

 彼は促さない。

 私が口を開くのをただ静かな瞳で待っている。

 喉がからからに渇きそうな緊張の中、どれ程の時間が経ったのだろう?

 私は漸く口を開いた。

「私、……私は、弁慶さんに謝らなくちゃならないことがあります」

 どう言ったら良いのかなんて未だに解らない。

 私自身が、何を言いたいのかも本当は良く解らない。

 ただ一つ解る事は……このままでは厭なのだと言うこと。

 彼との関係が、このままなのは辛いと言うこと。

「――一体何をですか」

 淡とした声が私の背筋を凍らせる。

 表情はとても柔らかいのに、距離を感じさせる言葉だ。

 ぐ、とスカートの裾を握り締め、目を逸らさぬように気力を振り絞る。

「この間の事と……、隠し事をしていたことを」

「この間のことは頭を冷やしてくれたんでしょう。次からの戦いで其れは解りました。今更謝る必要なんて無いですよ。……隠し事、とは?」

 一つ目の事は予想の上だったのか、言葉は間髪入れず戻ってくる。

 けれども、残りの一つ。

 隠し事の部分迄は、解らないのだろう。それも当然の話であるけれど。

「……、弁慶さん」

 全てを話す前に、言わなくてはいけないことがある。

 此れが始まり。此れが全て。

 今までやってきた事の全ての根底が此処にある。

「何ですか、望美さん」

 促す声だけは、とても優しい。

 ――何度だって君に恋をします。

 ……弁慶さん、其れは私の科白だったみたいです。

 たとえどんな状況であったって、私は貴方が愛しくて堪らない。

 口元に自然、笑みが広がった。

「私は貴方が好きです。――好きだから、この時空にやって来ました」




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