「望美さん」

 やわらかい声が私の耳に届く。

 優しい声の筈なのに、何かが足りない。

 私たちの関係がもう、あの愛しくて哀しい日々を過ごしていた二人ではないから。

 足りないの。貴方が私を想ってくれていた気持ちが足りないの。

 新たに二人で生き残れる道を探す決意をした時から、覚悟はしていた。

 だって、新たに、というのは全てを創り変えるということ。

 二人の思い出も、何もかもを。

 覚えているのは私だけで、貴方は何も知らないということ。

 覚悟をしていたつもりだったのに、泣きたいような気持ちになる。

 ――此の気持ちをきっと、“寂しい”と言うんでしょうね。



「望美さん、君は不思議な人ですね」

 ある折に、弁慶さんは私にそう言った。

 一体何故そんな事を言われるかが解らずに、私は思わずきょとんとしてしまう。

 するとそんな反応は想定内であったように、弁慶さんは緩く笑った。

「君の剣には迷いが無い。剣の腕も然る事ながら、突如此の世界に呼び寄せられた筈なのにとても明確な意思を持って剣を振るっているようにすら見える。一体、何が其処まで君を突き動かすのですか? ――其れも神子たるが所以なのでしょうか」

 己の推測を戯言のように織り交ぜながらも、その真意を聞きたがるように弁慶さんは言葉を重ねて行く。

 貴方と生き残るためですよ。

 多分弁慶さんが聞きたがっている答えは、この一言に集約される。

 けれども今の彼に此の言葉を告げたとて、理解など出来ぬ事柄なのだろう。

 だから、言わない。

 一体何の事を言っているのかと言う顔をされたら辛すぎるから。

 ……だから、言えない。

「望美さん?」

 何時までも答えずにいる私に、弁慶さんが催促のように呼びかける。

「白龍の神子だからですよ」

 努めて笑顔を浮かべ、其れが答えであるように私は言い放つ。

 戯れのように言った「神子」という言葉を其の侭返されることとなった弁慶さんは、少しだけ困ったように微笑んだ。

「――神子の自覚というものは、唐突に目覚めるものなのですか?」

 君は別人のように或る日変わった。

 そう指摘するように。

 其れはそうだろう。ある日を境に其れまでの私は今の私に成り代わった。

 私にとって其れは当然の変化でも、弁慶さんや皆にしてみれば其れは驚きであったに違いない。

「弁慶さんは私がこうやって剣を振るう事には反対ですか?」

 神子の力は延いては源氏の力になる。

 だと言うのに、神子としての力を示す度に彼が複雑そうな顔をしているのを私は知っている。

 全て貴方の為なのに、その事でそんな顔をされるのは心外だった。

「……そう言うわけではありません。……ただ、君は、辛くないのですか?」

 ――卑怯だ。

 貴方にそんな台詞を言われると、泣きたくなってしまう。

 貴方が問うている意味と、私が考えている意味はきっと違うのだとわかっている。

 貴方は私が剣を振るう事が辛くないかと問うてくれているのでしょう?

 けれども私には時空を繰り返す事が辛くないかと言われているような気がしてならない。

 嗚呼、でも。

 結局此の質問に対する答えは変わらない。

「……辛いですよ」

 辛くない筈がない。

 剣を振るうのも誰かを傷つけるのももう沢山だし、もう貴方の死を見るのも沢山だ。

 だけれど。

「諦めたら、其処で終わりですから。……諦めることは、しないんです」

 “貴方が大切だから”という言葉は、矢張り口にすることは出来なかったけれど。






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