緩やかにと目を伏せると、今でも鮮やかにあの戦いの日々が瞼に浮かんでくる。

 恐ろしいわけじゃない。

 忘れたいわけじゃない。

 寧ろ、こうして容易に思い浮かぶ事に私は感謝すらしているのだ。

 あの日々を忘れてはならないのだと想うから。

 平穏な日々に埋没させてはならぬのだと。

「……私、とても幸せ」

 声に出して言ってみると、ほら、じんわりととても温かな気持ちになれる。

 咎人の汚名を被ろうとしてまで戦を終わらせようとした弁慶さん。

 悲しい真実だけを残して一度死んでしまった弁慶さん。

 好きだったと気付いた時には、既に居なかった弁慶さん。

 漸く掴んだ幸せは、あなたと共に在れる平穏。

 他人から見ればほんの些細なことでも、私にとってはこの上ない幸せ。

 私、今とても幸せ。

 だからこの幸せを守る為に、私はまた剣を握るの。

 ――運命の日は、今日。

「今度こそ、私は守り抜く」

 何かあった時の為にと用意されていた剣を手に取り、私は感触を確かめる。

 白龍に与えられた剣は、その役目とともに消えた。

 思えば龍の加護があったからだろうか、あの剣はまるで自分の腕のように思い通りに動いていた。

 あの剣が此処にあったならばと言う思いは隠せないが、それでも自分の剣の腕は並の者よりも立つ自信はある。

 守る。守れる筈なのだ。ううん、守らなければ、未来なんて無い。

 ――弁慶さんを、死なせはしない。

 出来るだけ動き易い格好をして帯刀する。

 弁慶さんは今日、薬となる草を探しに行き――平家の残党に襲われる。

 逃げる事の叶わなかった、取り残された哀れな兵達。

 何処で聞きつけたのか、密やかに、密やかに弁慶さんを狙っていた。

 理由は何てことはない。ただ、平家の仇を討ちたかったのだ。

 其れを思うと他の皆も狙われている可能性もあるが……其れは、私の計り知るところではなかった。

 何故なら、私は其の前に時空を越え、運命を上書きしようとしたのだから。

 ……そう。“上書きしようとした”。

 其れは、今迄幾度となく失敗したことを表している。

 弁慶さんとのこの平凡で平穏な幸せを守る為に、何度も何度も残党が襲ってくる以前に時を遡った。

 けれど其れを、一度たりとて防げた例はない。

 ……襲われる前に、先に平家の残党を倒したとしても、だ。

 数多の時空で弁慶さんと幸せな日常を描き、数多の時空で弁慶さんの死を目の前に叩きつけられた。

 今度こそ、今度こそはと自分を奮い立たせながら繰り返した回数は、最早数え切れぬ程。

 だと言うのに、未だに弁慶さんを生き延びさせる方法だけが見つからない。

 死に瀕した弁慶さんの顔が、毎夜の如く夢に現れる。

 苦しくて悲しくて、其の度に私は泣きながら目を覚まし、隣で眠る彼の顔を見詰めるのだ。

 平穏に暮らしたいだけ。其れだけを願っているのに、悪夢はずうっと覚めずにいる。

 けれど。今度は。……今度こそは。


「……今度こそ私は、この悲しい運命を断ち切らないといけない」



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