「――君、そんな所で何をしているんだい」
京を、見渡せる場所だった。
汚れる事もまるで厭わずに彼女は草の上に直に腰を降ろし、ただ暮れなずむ景色を眺めていた。
声を掛けて漸くちら、と視線を此方に遣したものの、然して驚いた風でもない。
気配を感じ取っていたのだろう、曲がりなりにも武人である自分の直感がそう思わせた。
「見ていたんです」
吐き出された声は想像していたよりも随分と重たい。
そう考えて思わず自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。
彼女の姿を見てから声を掛ける迄に彼女の声を想像してしまっていたのかと。
「京を?」
さく、と草を踏み分けて、彼女の傍らに立つ。
視線を横に移して京を見下ろせば、成る程随分と見晴らしが良い。
「違います」
陰鬱さを孕んだ声は、なかなか暮れきらない空へ溶け消える。
彼女の視線は確かに京を捉えているのに、彼女は其れを違うと言う。
「では、一体何を見ているんだい」
「運命を」
間を置くことなくきっぱりと言い切った事に、視線を彼女のほうへと移した。
其の顔には矢張り憂鬱さが含まれているばかりで、冗談を言っている気配もない。
面白い事を言う娘だと思った。
そんなものを見る事が可能だと本気で思っているのだろうか。
「そうか。では君はどんな運命が見えるのかな?」
ふ、と。
此処で初めて彼女の視線が動き、視線が僕を捕らえる。
深い深い影を含んだ瞳に、どきりとした。
今初めて自分と言う存在が、彼女に認められた気分だった。
「言っても無駄です」
悲観する様子ではない、ただ何処か寂しさを孕んだような声音で彼女は言う。
何故? と続きを促してみると、彼女の瞳は逸らされる。
此方を見詰めることの無い瞳が無いのが寂しい、と思うのは如何したことか。
「――きっと貴方は死んでしまうから」
断言する形を避けているのに、それはまるで予め定められた未来であるかのように、彼女は言った。
嗚呼、其れこそ“運命だから”とでも言うのか。
「源氏の人でしょう。死にたくないのなら、戦場には行かない方が良いです」
初めから知っていたとでも言わん口振りで言われたことに、どきりとした。
其の通りだったからだ。何故、彼女は知っているのか。
「言っても無駄でしょうけど」
何か言葉を挟む前に、溜息にも似た調子で呟かれた。
――其の通りだ。何と言われようとも、自分は戦場へ足を向けるだろう。
最早そんな生き方しか出来ぬのだから。
「人が死ぬのは厭かい、君、そんな顔をしている」
「厭ですよ、誰にも死んで欲しくない」
「では、若し僕が死ぬとして、君、今どんな気持ちだい?」
落とした声は、彼女に如何作用したのか、落ちたのはほんの一瞬の、間。
「憂鬱な気持ちです。だから、こんな顔して此処にいるんです」
其の口振りが、まるで自分の事を知っていたかのようでとても不自然。
それでも決して不快ではなく、寧ろ嬉しい部類のもの。
――其れが自分と言う一個人に向いている言葉でなくとも、だ。
言い切ってしまって、其れまで。
後はもう、彼女が口を開く事は無かった。
其れから間も無く、彼女が“源氏の神子”として随分と高い位置に居る事を知った。
あの日の憂鬱さは嘘のように春の陽だまりのような微笑みは周囲の人間を魅了していたことだろう。
若しも自分の隣で笑ってくれたなら、どんなにか幸せだろうか。
そんな、浅はかな夢を見てしまう程に胸が躍る日々だった。
しかし幾ら自分が源氏に身を置いているからとて下級の武士にしか過ぎぬ。
姿を見かける事はあれども声を掛ける機会は、終ぞ訪れる事がなかった。
戦場で自らを貫く刃を見下ろし乍、彼女の言葉を思い出す。
――きっと貴方は死んでしまうから。
……其の通りだ、其の通りだった。
吐き出す息が熱い、思考に靄が掛かったようだ。
今際の時に思い出すのは、たった一度きりしか話していない彼女の事。
睫が影を落とす白い頬、先を見詰めるその瞳、淡い色した唇、陰鬱さを孕んだ、ことば。
何度も何度も繰り返し頭の中で再生され、離れない。
――きっと貴方は死んでしまうから。
……君の微笑みが好きだった。きっと自分は恋をしていた。
君が隣で笑ってくれたならと、不相応な夢を心の中で描く程に。
嗚呼、でも。
――憂鬱な気持ちです。
僕は君の、その憂鬱さも好きだった。
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