水面に揺れる影

 心に染み入る残照

 二人で辿った小道

 語り合った平和な未来

 髪を撫でる指先に

 不器用な言葉

 触れる腕の温もり

 優しい眼差し

 幸せ過ぎた日々

 もう戻らない思い出

 幸せだった世界

 思い出すだけで涙が出そうになる

 好きなの

 今でもずっと

 だからこんなに辛いの

 辛くて辛くて貴方を恨んでしまいそうな程

 ねえ如何して傍にいてくれないの

 人を愛する事がこんなに辛いのなら

 失ったことがこんなにも心を締め付け続けるなら

 最初からなければよかったのに

 なかったことに出来れば良かったのに

 ――黒龍



「貴方もきっと、大切な人を失ったら解るわ」

 暗い色した髪を持つ娘は静かに笑う。

 対峙する長い髪の娘は訝しげに、きつく眉を寄せている。

 不意に長い髪の娘が暗い色した娘の腕を取り、無言で引っ張り、連れて行く。

「如何したの、何処へ行くの」

 問い掛けを向けられた娘は答えない。

 終始無言の侭で、やがて一つの小屋へと入り行く。

「……此処に何かあるの、見た所、猟師か何かの小屋のようだけれど」

 答えぬ娘に不安がるよう、ギィと扉が閉まり行く中、控えめな声音で問い掛ける。

 掴んでいた手を離されて、より一層不安が増す。

「朔」

 其れまで無言だった娘が、不意に口を開いた。

 朔と呼ばれた娘は、漸く返事がもらえた事に僅かに表情緩め、何、と声を出す。

「私はあるよ、大切な人を失った事」

 静かに静かに、それなのに酷く良く響く声は、哀しい響きを以て耳に届く。

 咄嗟に何も言葉が紡げずに、困ったように胸元を掴むよう、朔は腕を持ち上げる。

「ねえ朔。朔はそうやって直ぐ諦めるの?」

 淡、と。

 責めるように、否、事実責めているのだろう、娘の言葉の刃が朔へと向かう。

 ひゅ、と息を呑むように、其れでも直ぐに怒れるように、朔はきつく眉を吊り上げる。

 ――なにもしらないのにかってなことばかりいわないで。

「最初から諦めていた訳じゃないわ。でも、どうしても無理なことだってあるの。叶わない願いだってあるの。どれだけ願ってもどれだけ望んでも、あの人は帰って来なかった」

 怒気を孕む朔の声にも、娘はまるで動じない。

 寧ろ尚更責めるような視線を向けてくるのみ。

「どんな言い訳を並べたところで、今は結局諦めたんじゃないの」

 抉るような言葉は、何の躊躇いもなく吐き出される。

「……、そうする以外、他にどうしろと言うのよ!」

 泣きたくなるような衝動を堪え、悲痛な叫びを漏らす。

 如何しようもなかったのに、もう他に嘆くことしか出来なかったのに。

「一度諦めた人間は、この先ずっと……諦め癖がつくよ」

 こみ上げる吐き気の代わりに出したかったのは言い訳の塊。

 喉元でつっかえたそれをぐっと唇引き結んで飲み下したのは意地か、無用なものだからか。

「私達が今居る場所は何処。戦と言う世界だよ。目の前で大切な人が失われ行く場所。――完全に目の前で死んだ訳じゃないのに大切な人を失った事を嘆いてる、頑張ることを諦めた朔に、もう一度失う辛さを受け入れる覚悟はある?」

 黒龍以上に大切だと思える人だなんて、現れないと朔は思っている。

 しかし其れでも目の前の彼女はとても大切で大好きで離れて欲しくない人で。

 恋愛とかそういう意味とは違うけれど、其れこそ黒龍と同じほどに大切な人なのかもしれないと感じている。

 ――彼女を失う?

 言葉を返せずにいる朔にふ、と娘は溜息にも似た呼気を吐き出した。

「答えられないんだよね、やっぱり」

 何処かわかっていたような呟きが、哀しく響く。

「だから、」

 ふつ、と空気を断ち切るように、娘はひらりと身を動かして扉へと手を掛ける。

「朔はもう私達についてきちゃいけない。悲しみを増す要因がこの先にあるかもしれないから、朔は来るべきじゃない。もう、哀しみたくないのなら。……ほんと、こんなことなら、最初から“なかったことに出来れば良かったのに”ね。私達も出会うべきじゃなかったのかもしれない」

 酷く残酷な科白は、澱みなく娘の唇から零れ落ちる。

 ふわりと長く柔らかそうな髪を靡かせ乍、娘は朔に背を向けた。

「私、朔を置いてくよ」

 一言言い残し、言葉通りに娘は扉を抜けて行く。

 半端に開いた侭の扉がキィと僅かに揺れた。

 今まで二人、互いを唯一の対として遣って来た。

 罵りあう事も無く、ただ慰めあうように。

 今までの関係を瓦解させるように、娘はただ言葉を投げつける。

 置いて行くと、優しいようで冷たい言葉を投げつけて去って行く。

「――ッ、ねぇ……」

 掠れた声が響く。

 置いて行かれる、置いて行かれた。

 ねえ、待って、待って。

 もう置いて行かれるのはいや。

 もう一人ぼっちはいや。

 強くなるから、大切な人を守れるほどに。

 強くなるから、もう泣かないですむように。

 だから。

 私から離れて行かないで。

「ま、って。待って頂戴」

 もう動けないと思っていた身体は、一人きりになるのを怯えるように良く動く。

 見えなくなった其の姿を追い求め、追い縋る。

「――望美!」

 呼び止めるように声を張り上げる直前、開きっぱなしだったと思っていた扉を押さえている白い手が見えた。

 閉まらないよう押さえるように、まるで誰かを待っているように。



 呼びかけと同時、其の手は緩く扉の端から離されて、光の筋を放つよう、踊るように消えて行く。

 娘は其れを追いかけて、後は二人、何処ぞへと。




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