■同じ空の下 1
 貴方と私の運命に、『もし』と言う言葉は常に無かった。

 木々に囲まれた風景は永遠に続くように代わり映えしない。
 いや、違いはある筈なのに、それを知覚することは出来ない。
 桜色の髪の毛を揺らしながら、静かに大地を踏みしめ、只管歩くその足取りは覚束ない。

「――結局、如何にもならない、かぁ……」
 言葉を発する事を忘れたような唇が、不意に音を紡いだ。
 先ほど迄剣を交え、白龍の逆鱗を与えた相手の事を頭に思い浮かべる。
 己の剣へ見せた強い執着、普段の気怠い様子、歪な笑み……そうして、思う。
 今まで一度だって知盛は己に執着以外を見せてはいなかったと。
 この掌には既に逆鱗はなく、時空を越える力の無い人間へと戻ってしまった。
 何度も何度も知盛との未来を探し時空を越えて、何度も何度も、絶望した。
 如何してこんな想いをしてまで探し続けなくてはいけないのだろうか。と何度も自問を繰り返した。
 ……けれど、この気持ちに理由なんて無かったから。
「やっと見つけた、知盛が生きている、運命…」
 今まで幾度と無くこの手を彼の血で染めて来た。だからそれだけで十分じゃない。
 そう言い聞かせる自分が居る。
 そんな筈はない。幸せになりたいから、さっきだって会いに行ったんでしょう。
 そう囁く自分も居る。
 でも今の自分には如何することもできない。
 どれ程後悔したって、もうやり直す事は出来ないのだから。
 私の運命はもう定められてしまった。
 このまま和議が結ばれれば何時の日か、元居た世界へと帰って行くのだろう。
 ……もう二度と、知盛と逢う事の叶わない世界へと…。
「……ッ!」
 突如として目の前の風景が滲んだ。
 目に熱いものが込み上げて、止め処なく頬を濡らして行く。
 外気によって直ぐに冷たくなった涙がまるで自分の心を語っているようだった。
 いやだいやだいやだ。もう逢う事が出来ないだなんて耐えられない。
 繰り返して来た運命、その中の一つだって知盛との運命はなかった。
 それでも、もう、あの人の居ない運命なんて、考えられない。
 ――数え切れない程出会い、数え切れない程あの人を死に追いやった。
 その度に、もう胸が痛む思いをするのは厭だと願った。
 やっと、やっと…彼の死によって胸を痛ませることがなくなったのに…。
 今度は自分の想いに胸が引き裂かれそうになるなんて…。
「私……っ、何時からこんなに……我儘に……なっちゃ、ったんだろ……」
 涙を流しながらもそんな自分が愚かで、滑稽で、思わず自嘲気味に笑ってしまう。
 右の手の甲で涙を拭うが、ぼやけた視界は一向に元に戻らない。
 ――彼は、出会うだろうか。
 今の私ではない『私』と。彼のことを好きでない『春日望美』と。
 きっと、今まで以上に執着されるだろう『私』に嫉妬している。
 運命を切り開く事が出来るかもしれない『別の自分』に、嫉妬している。
 もう如何しようもないのに。もう如何にもならないのに。
 もう一度、時空を越えたいと思ってしまう。
「私の掌には、もう、逆鱗は無い……」
 立ち止まり、視線を落とした掌の輪郭はあやふやだ。
 まるでこれからを示しているかの如く…。
「…………」

「……再び、時空を越える事を欲するのか、神子」
 今まで何の気配一つさせなかった。
 其処にいきなり聞きなれた師の声が聞こえ、鈍い思考を携えた侭、緩慢に頭を上げ正面を見遣る。
「……せん、せい……?」
 目の前の人が口にした台詞の真意を理解しようとする間も無く、師は視線を一度下へと移すと、其の手に白く光る逆鱗を取り出した。
 ――何故持っているなど、問う必要はなかった。
 これまでの長い繰り返しの中で幾度でも知る機会があったから……。
「この逆鱗を使えば、その願いは叶うだろう。さあ、手に取りなさい」
「でも……っ!」
 差し出された手。躊躇い無く差し出された逆鱗。目の前に燈された光。其れでも反射的に言葉が出たのは……
「それを渡してしまったら、先生は」
 もう二度と時空を越える事は叶わない。
 私の言葉を遮るように、はっきりとした声音が夜の闇に響く。
「私はこの運命に満足している。……ならば此れは……元の持ち主であった神子の手に戻るべきなのだ」
 何故。
 これから先も、逆鱗を使うような出来事が起こらないとは限らないのに。
 先生が何を思って居るのかが理解出来ずに戸惑うばかり。
 しかし其れと同時に、何も気にせず逆鱗を手に取ってしまいたいという衝動に駆られる。
 如何も出来ずに居る私を見て、先生はふ、と目元を和らげた。
「……自分が納得出来る運命を、見つけなさい」
 何処まで知って居るんですか。
 問いかけたかった疑問も、迷いの無い視線を受ければ、唇から零れ落ちる事を躊躇ってしまう。
 そして、震える指先で、差し出された逆鱗を受け取った……。

 闇の中に光を灯すように、否、闇を消し去ろうとするかの如く力強い光が逆鱗から発される。
 幾ら取り繕うとも此れが自分の心。
 時空を越えたいという、自分の願い。
 この時空での最後の邂逅。先生は眩しそうにただ、此方を見ていた。
 何を捨てて、何を諦めて、私に逆鱗を託してくれたのかは解らない。
 出来る事はただ、それに感謝をするだけ。
 恩師がしてくれたことは数え切れない。自分は何時までも駄目な生徒だった。
 胸が苦しくなり、止まった筈の涙が再び滲んで来ようとするのを必死で留める。
「先生……ありがとう、ございます……!」
 懸命に紡いだ感謝の言葉。
 他にも言いたい事がある筈なのに、上手く言葉が出てこない。
 私の言葉が聞こえたのか如何かはわからないが、先生は僅かに笑ったように見えた。
 ――そして、私は願った。
 一度は諦めた筈の運命を、この手に掴む為に――。
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