■桜咲く頃の記憶
 ひらりひらりと桜の花弁が散って行く。
 其れを見上げると、嗚呼、春なんだなあ。と思わずにはいられない。
 普段は特に気にならないのに、ふとした瞬間空を見上げたくなるのだ。
 ひらひらと舞い落ちてくる桜の花弁は、まるで天上から降る薄紅色の雪のようだった。
 そして、何時からか胸を占める事柄があった。
 それは楽しい筈の記憶なのに、一人空を見上げて思うと、少し寂しい記憶に思える――。


「望美、空ばかり見て歩いていると危ないわよ?」
「――え?」
 笑みを含んだ柔らかな声が、聞こえたような気がした。
 それに現実に引き戻されたのと同時、ガクン、と世界が傾き、地面が近づいて来るのが解った。
「う、わ……っ!」
 こういう時何故か世界の動きがスローモーションに見えたりするのだが、体勢を立て直す事は出来ないもの。
 駄目だと覚悟をしてぎゅ、と目を瞑り、その瞬間を待っていたのだが、幾ら待っても痛みは訪れない。
 恐る恐る目を開けてみると、身体は傾いた状態のまま、誰かの腕に胴を抱えられるように支えられている事に気付いた。
「……お前なぁ……何も無い所で転ぶなよ……」
 呆れたような溜息が頭上から聞こえ、誰かと確認せずともその人物を悟る事が出来た。
「……ごめん、将臣くん」
 転ばずに済んでよかった。とそう言いながらゆっくりと腕を解かれる。
 学校の帰り道。二人で帰っていた筈なのに、何時の間にか桜並木に心を奪われてしまっていた。
「しっかしお前、太ったンじゃねぇか?こう、腕に掛かる重みが…」
「なっ! か、変わって無いよ!将臣くんが貧弱になったんじゃないの!」
 そう反論すると、それもそうか。なんて何時ものあの笑顔を浮かべて納得している。
 流れた月日を遡るかのように、将臣くんは元の年齢の姿へと戻っていた。
 どちらの姿も将臣くんに変わりないのに、ふとした瞬間鎧を来て大人になった将臣くんを思い出してしまう。
 ――そしてそれは、皆と共にいた頃の記憶を彷彿させる…。
「ん? 如何したボーっとして。さっきもそうだ。上向いて大口開けてマヌケ面でぼんやり歩いてたし……」
 ……将臣くんは悪意なく一言多いと思う。
 思わず、そんなにマヌケ面じゃなかったもん。と反論しかけて止めた。
 そんなこと言っていたらキリがないから。
「何か、思い出しちゃって。……皆と一緒に、桜を見に行ったなあ、って……」
 さぁ――と風が吹き抜ける。
 風に靡く伸びた髪が目に入らぬように押さえ、小さく溜息を吐いた。
「……それでね、来年も、再来年も……多分、季節が巡って来る度に……こうやって思い出すんだな、って……思ったの」
 すい、と視線を何処かへと飛んで行く桜の花弁に移し、言葉を続ける。
 そんな私の言葉を遮ることもなく、彼はただ、静かに待っていてくれた。
「何処に居ても、誰と居ても……みんなのこと思い出して……寂しくなる……」
 そっと胸に手を当ててみると、ずきんと痛んだ気がした。
 胸が痛むような想いとは、こういうことを言うのだろうか。
 ぽん、と軽く頭を叩かれるような感覚。
 見上げると直ぐ其処に、苦笑めいた笑みを浮かべた将臣くんが立っていた。
「そんだけ想って貰ってりゃ奴らも本望だろうよ。……それに、お前が寂しいって思うのも、当然だ」
 私の頭に触れていた手を下げると、本当に日常会話を続けるようにして彼は笑った。
「まッ、仕方ねぇから来年も再来年も、此れからずっと俺が花見に付き合ってやるよ」
 そうしたら存分に奴らのことを思いだせるだろう?
 そう笑ってくれた将臣くんは大人びて見えて、過ぎ去った年月を感じさせられた。
「其れと上見上げんのも俺が居る時だけにしろよ。また転ばれたらたまらねぇからな」
「も、もう転ばないよ!」
如何だかと軽く肩を竦めてみせて、私の背を押し歩き出す事を促した。
「……ねぇ、将臣くん……手、繋いで良い?」
「ん? あぁ」
 ほら、と差し出された手をそぅっと握った。
 大きな掌は温かく、ひとりじゃないよ。って言ってくれてるみたい。
 それがなんだか嬉しくて、将臣くんに寄り添うように歩き出した。
「――ねぇ、将臣くん……」
「ん? 今度は何だよ」
 笑いを含んだ声音は、其れでも迷惑がっている風でない。
 だから私は安心して言葉を紡げるのだ。
「ごめんね、何か、私……将臣くんのこと、すっごく好きみたい……」
「……バーカ」
 私の手を包み込む将臣くんの掌の力が、少し強まったのを感じて私は思わず顔が綻んだ。
 ……桜は相変わらず、遙か彼方の天上から舞い落ちてくる。
 ――大丈夫。もう、寂しくない。
 澄み渡った空を見上げ、私は大きく息を吸い込んだのだった――。
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