■かなしい心に夜が明けた
 夢を見た。
 それは、此処じゃない世界で、将臣くんは成長していた。
 夢の中では敵同士で、お互いの正体を知らずに戦場で出会ったこともあった。
 ……夢を見た。
 将臣くんと殺し合う夢。
 彼は彼の守りたいもののために。
 私は私の望む未来のために。
 命を賭して戦った。
 ……夢は終わった。
 血塗れで、既に息絶えている将臣くんに、笑いながら剣を突き刺している私の姿が、最後に見た夢の光景だった――。


「―――アァ……ッ!」
 悲痛な叫びが喉から搾り出される。
 飛び起きると其処は、帰って来た自分の部屋。
 規則的に鳴る目覚まし時計の音が時刻を告げている。
 けれど、夢の中での出来事がやけにリアルで、人の肉を裂く感覚がまだ手に残っている感じがする。
 ――良かった。手は、血に染まっていない。
 寝ている間にもきつく握り締めていたのか、血の気を失い白くなった掌を見遣り、安堵の溜息を吐いた。
 あの世界での戦いはもう終わり、先日彼も此方の世界に戻ってきたのに、同じ夢を何度も何度も繰り返し見る。
 当初は泣きながら目を覚ましていたものだったけれど、今ではもう、虚無感しか胸に沸いて来ないのだ。
 まるで此方の生活が夢で、彼と戦い続けている方が現実ではないのかと思う時がある程に、精神的に参ってしまっていた。
「……私は、将臣くんを殺さない」
 声に出して言ってみても、それはなんだか現実味が無くて、自分が空恐ろしかった。
 寝覚めの悪い身体をのろのろと引き摺りながら身支度を整えた。
 正直に言えばこのまま横になっていない気分だが、今日だって学校がある。
「……酷い顔……」
 鏡を覗き込むと、この世の不幸を一身に背負ったような顔をして居る自分が目に入る。
 こんな顔で将臣くんの前には立てないと、両手で頬をぴしゃりと叩き気合を入れた。
「……ん、よし。ちゃんと笑えてる」
 鏡の中には先程よりも生気を取り戻した顔が映る。
 この顔を維持しなくては、と自分に言い聞かせながら、ゆっくりと息を吐き出すのだった。


「おはよ。将臣くん」
「おぉ」
 家から出ると既に待っていてくれたらしい姿が目に入り、挨拶を口にした。
「譲くんは今日も朝練?」
「ああ。朝も早くから起きて学校に行ってた」
 アイツは真面目だから、と自分の弟のことを可笑しそうに笑いながら話している。
 そんな姿を見ると、あんな夢を見てしまった事にとてつもない罪悪感を感じるのだ。
「――で、俺はあっちに長くいたからその約束のこと忘れちまってて……おい、望美?」
「えっ?! あ、何、ごめん将臣くん。一寸寝惚けてたみたい」
 慌てて取り繕う私を見て、しっかりしてくれよ。と、呆れたように言われる。
 誤魔化せたのだと思い、安心して笑おうとしたけれど、垣間見た将臣くんの顔は酷く深刻なものだった。
「ど、どうしたの。そんな真面目な顔しちゃって……」
 その表情が、夢の中での将臣くんと重なってしまい、鼓動が早鐘を打つ。
 違う、違う。此処は夢の中じゃない。
 顔が引き攣ってしまっている私に気付いたのか、将臣くんはゆっくりと口を開いた。
「お前、如何したんだ? こっちに帰って来てなら変だぞ?」
 真摯な言葉は私を心配してくれているからなんだって直ぐに解った。
 けれど……。
「べ、別に。最近ちょっと、夢見が悪かっただけだよ」
 どんな夢だったのかは言えない。
 だって、あんなどちらも傷つくような夢、伝えられるわけないじゃない。
 懸命に笑みを作ろうとうする私に、将臣くんは溜息を吐き、唐突に私の腕を引っ張った。
「将臣くん?!」
「……歩いて学校行こうぜ。……HRくらい遅れても別にいいだろ」
 ぐいぐいと引っ張って行く腕は力強く有無を言わせないものだった。
 意図が見えずに困惑しながらも、私はその力に逆らう事は、出来ずに居た……。


 ザザァ……と波の音が聞こえる。
 風にも潮の匂いが交じる。
 くん、と腕を引っ張られ、私は引かれるままに浜辺に下りたのだった。
「――俺は…」
 不意に足を止め、ぽつりと漏らされた言葉の続きは、暫くでないまま。
 続きを促すことも、何故か出来ないような不思議な空気だった。
 空気は冴え冴えとしているのに、此処に立って居るということがまるで現実味を帯びていない。
 するり、と離された腕は重力に従い力なく落ち、一旦手に視線を落としてから将臣くんの背中を見詰めた。
「……俺は、あの世界でお前の傍に殆ど居てやれなかった」
 独白めいた台詞が私の心を抉る。
「平家の奴らを生かしたいと、俺はその為に戦ったし、その所為でお前と敵同士になるのは……そりゃ、厭だったが、仕方無いとすら思った」
 言わないで。
 言ってしまうと私が貴方に剣を向ける理由を作ってしまうことになる。
「お前の事だ、皆から大事にされて、…思われてたんだろう。だから、心配はないと思ってた」
 一旦、そこで言葉を切り、緩慢な動作で向きを変え私と向き合うようになる。
「だけどな、そう自分に言い聞かせる度に俺に何かしら相談をしてきたお前の顔を思い出した。俺が、敵方だと知った時お前は誰に相談したんだろう、そしてソイツはどんな慰めの言葉を口にしたんだろう――」
 その時の事でも思い浮かべているのか、大きく息を吸い込み、天を仰ぐ。
 私は今どんな顔をしているのだろう。
 どんな風に、将臣くんの目には映っているのだろう。
「……だから。……だから、だ。もしこうして日常に帰って来れたら、俺はお前の悩みを全部聞いてやりたいと思った。お前に、話して欲しいと思った」
お前はもう俺に話してはくれないのか。と、将臣くんの哀しげな目がそう訴えかけているような気がして胸が苦しくなる。
「わた、し……」
「勿論如何しても言えないようなことだったら良いさ。だけど……」
「ううん……っ……!将臣くん……わたし、私……ね……」

 ――夢の中での自分の行動。
 声に出してしまえばそれはとても容易くて、こんな夢を見ていたことだって、許されてしまうような、そんな気がした。
 全てを聞き終えた将臣くんは、頭を軽く掻きながら、小さく溜息を吐いた。
 その溜息を聞いて私の身体がびくっと揺れる。
 しかし、彼の口から出てきた言葉は、私が予想していたものとは違うものだった。
「お前なあ、一々夢の事なんか気にしてんじゃねーよ」
 私の見た夢に不快を表すどころか、軽く捨ててしまうような口調。
「で、でも。何回も同じ夢…」
「それはアレだろ。『また同じ夢みたら如何しよう〜』って考えてンのが影響されてんだよ。予知夢とか見る性質でもあるまいし」
 こうまで力強く言い切られてしまうと、まるで彼の言葉が全て正しいかのように聞こえてくる。
 これまで胸につっかえていた重く苦しいものが軽減されたような気さえするのだ。
「第一お前、剣とか持ってねぇし、素手でかかって来ても俺に勝てるかよ」
 悪戯っぽく笑ってみせる将臣くんに励まされるように、私は久しぶりに心からの笑顔を浮かべるられた。
「あ、馬鹿にしてるな? 甘く見ると痛い目に合わせるよ!」
 如何だか。と此方に背を向けながら軽く肩を竦めてみせる将臣くん。
 学校へと向かうつもりなのか緩やかに歩き出したその背を、私は思いっきり突き飛ばした。
「どわっ!」
 油断大敵。
 足場が不安定な事もあり、バランスを崩してこけかける将臣くんが可笑しかった。
「敵に背中見せるなんて危ないよー? ほら! 将臣くん早く行かないと一時間目に間に合わなくなっちゃう!」
「お前なぁ……」
 すっかり脱力しきった将臣くんを追い越すように私は駆け出した。
 空も、雲も、海も、風も、音も、此処に在り、何もかもが穏かさを称えている。
 そして何より此処には将臣くんが居る。
 胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んで、私は笑った。
 恐怖や悲しみはもう心に無い。
 夜はもう明け、私はもう、きっとあの夢は見ないのだろうと心の何処かで確信していた――。
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