■こどものひ
「先輩、朝ですよ。そろそろ起きて下さい」
 異世界へと来てからの譲の朝の習慣は、寝起きの悪い先輩を起こす事。
「――先輩?」
 何時もならば唸り声だけでも返事のようなものをするのに、今日は其れすらも無い。
 習慣的に繰り返される事が無いというのに違和感を感じ、布団にすっぽり潜っている彼女に近寄った。
 ……気のせいか、少し、小さい気がする。
「……具合でも悪いんですか……?」
 そっと、掛け布団の上から揺するようにしてみて、漸く小さく呻く声が聞こえた。
 嗚呼、良かった。寝ていただけだったんだ、と譲が安心して微笑みかけていた、その時。
 やけに小さな身体が、布団の中からひょっこりと頭だけを出した。
 其の姿はまるでカタツムリ。
「………………センパイ?」
 半端な笑顔のまま固まってしまった譲にくるくると零れ落ちそうな大きなお目目を瞬かせ、にこぉ、と笑った。
「おはよーごじゃまー……す」
 まめらない舌で言われた朝のご挨拶は、微笑ましいとしか言いようが無い。
 が、しかし。
 5、6歳に見える幼女は間違いなく、昨夜まで、17歳の少女だった――。
「…………う、うわぁあああああああーーーー!!!!
 その日、朝の梶原邸に幽霊でも見たかのような男子高生の叫び声が響き渡ったと言う……。


「……まあ、では貴方が望美だと言うのね?」
 望美の寝室で、布団にちょんと座ったままの幼女を取り囲むように集まった彼らは、一様に口をあんぐりとあけていた。
 そんな中、逸早くこの状況に順応したのは白龍と、白龍の神子の対である朔。
「あい」
 かっくりと首を縦に振って肯定してみせる幼女に、未だ状況が飲み込めていないながらも表情が緩みつつある者が多々。
「望美に間違いねぇと思うぜ。なァ、譲」
 叫んでしまった気恥ずかしさから、だんまりを決め込んでいた譲も、兄である人物に語りかけられ漸く口を開いた。
「あぁ」
「う〜ん、幼馴染の将臣くんと譲くんがそう言うんだから間違いないだろうなァ、何でこんなことになっちゃったんだろうね〜」
 顎に指を当てて全く困っていないように台詞を紡ぐ景時は、この件はさして大問題ではないと踏んでいるようだった。
「まさおみくん、ゆずるくん……?」
 たどたどしい言葉遣いながらも、幼馴染である二人の名前を呼び、きょとんと二人を見上げてみせる。
「うっそだぁ!まさおみくんもゆずるくんものぞみとおんなじくらいだもん! おにいちゃんたちにせもの!」
 兄弟と言っても対照的なもので、ニセモノ呼ばわりされて将臣は爆笑していたが、譲は少々肩を落とし、落ち込んでしまっていた。
「……弁慶、まさかとは思うが、お前が何か薬を盛ったのでは……」
は? 九郎、何を言っているんですか。僕には幼女趣味はありませんよ。譲くんじゃないんですから……」
 誤解を招くような弁慶の言葉に、譲は更に追い討ちを掛けられたように打ちひしがれながらも必死で自己弁護をしている。
「に、しても。オレの姫君は小さい頃から可愛いねぇ」
 ――そう、呑気に語っていたヒノエですら暫くすると可愛いなど、そんな言葉は紡げなくなることになる……。
 何も覚えていない幼女に一通りの説明や紹介を終えた所で、小さな望美はにっこり笑顔で「あそんで!」と云ったのだった。
 ……そこから先は、阿鼻叫喚。
「おうまさんしてー!」
 やら
「おままごとね! のぞみがおかーさんでー……」
 やら
「おやつはけーきがいいのー!」
 やら
「おしっこ」
 やら、皆が皆、振り回されっ放しである。
 既に、元より遊び相手としては「私には無理だ」の一点張りで見学を決め込んでいた敦盛と、現在の神子と同じく子供の白龍、そして日頃より鍛えているだろう先生以外は皆一様にダウンしていた。

「子供って、元気なものなのね……」
「朔が子供の頃はあそこまで元気溌剌!って感じじゃぁなかったからね〜……」
 ぐったりした朔と、それに相槌を打つようにあぐらを掻いて座る景時は、既に遊び相手になるのを放棄しきっている。
「僕ももう無理ですね……」
「アンタ、年なんじゃないの?」
 自分も疲れ果てているのに、弁慶に茶々を入れるヒノエ。
「パワフル過ぎですよ、先輩……」
「昔の俺ぁ良くあんなモンスターに付き合ってたモンだぜ……」
 過去の自分達を振り返ってみたりと。
「まだまだ修業が足りない……先生はあんなにも平然となさっていると言うのに」
 溜息混じりに紡がれた九郎の言葉に皆が顔を上げると、そこには先生に肩車をしてもらいキャッキャッとはしゃぐ幼女の姿があった。
「きゃーたかーい!」
 にこにこと満面の笑みを浮かべ、頭にしがみ付いている幼女を、白龍がやや羨ましそうに見上げている。
 心なしか、先生の表情が緩んで見えるのは気のせいだろうか?
 ぎゅ、ときらきら光る金色の髪を掴むようにしてから、幼女は唇を開いた。
「せんせーってなんだかおとうさんみたい」
 …………。
 痛恨の一言だったらしく、その後しばらく先生の背中には影が見えていたという。
 大人を一人再起不能にした後、とてとてと部屋の中を周り、んー?と首を捻る。
 まだまだ遊び足りないのかとびくびくしてしまうのも無理はない話なのかもしれない。
「神子、どうかしたのか?」
 遊び相手に参加していなかった敦盛が漸く、望美に語り掛けた。
「あのね、おえかきしたいの」
 その言葉を聞いて、少しだけ考える素振りを見せた後、一旦部屋を下がり、別室から紙と筆、硯等を持ってくる。
 それを見て、幼い顔がきょとんとしたものへと変わった。
「くれよんとかいろえんぴつは?」
 さも当然のように言われた言葉には首を捻るより他にない。
 その事情を悟った将臣が縁側から望美に向けて声をかけた。
「ここにはねぇからそれで我慢しとけよ」
 ないものを強請ることはさすがにしないのか、多少唇を尖らせながらもそれ以上は文句を言わなかった。
 ほわほわとした毛先の筆を持ち、どうやって使うの?という風に小首を傾げてみせる。
 それを見た敦盛が硯に墨を擦ってやり、幼女の手から筆を受け取ると、筆に墨を含ませてやった。
「紙に落とした時に滲むから、あまり付けすぎないように……」
 筆を受け取り、暫らく筆の先を眺めていたけれど、何を思ったのか顔を上げ、ぴっ、と部屋の外を指差した。
「のぞみ、おえかきするからみんなあっちいってて」
 突然の支持に、何を言われたのか理解出来ぬように目を瞬かせる者が多数。
 動かない姿に癇癪を起こしたのか、顔を真っ赤にさせて大きな口をあけ「はやく!」と怒った。
 その姿に漸く焦ったように部屋の外に出て、脱力したり溜息を吐いたりと一様に疲れ切った様子を見せていた。
「子供って、わっかんないね〜……」
 その時、中から「はくりゅーもいくのっ」と怒られてすこずこと出てくる白龍がいた……。


 それから暫らくして部屋からひょっこり顔を覗かせ、入ってきても良いよ、と促している。
 らくがきしたらしい紙の端をもみじみたいな手のひらでぎゅぅと握り、手や顔が墨で所々真っ黒に汚してしまっていた。
「望美、何を描いたのかしら?」
 休んだことで回復したのか、朔がやさしく問い掛ける。
 それにはにかむように笑ってみせながら、ん。と握り締めていた紙を朔に手渡した。
「見せてくれるの? ……あら、これって……」
 描かれていた絵を見て、思わず反応を示した。
 それを見た他の人々も何かと思い、次々に覗き込む。
 紙には、ここにいるみんなの似顔絵らしきものが描かれていた。
 決して上手いとは言えない絵だったけれど、それぞれの特徴が良く描かれていて、  一生懸命描いたことが伝わってくる。
 可愛らしいお礼の仕方に、皆似てる、上手いなど誉め倒し、口々に礼を告げるのだった。
 その様子を見るとにぱーっと最上級の笑顔を浮かべてみせる。
「きょうはあそんでくれてありがとーござました」
 ぺこんと頭を下げた後、すぐに頭を上げてにぱーっと笑った。
「みんなだーいしゅき!」
 臆すことのない純粋さ。
 それを目の当たりにして「こどもはこりごりだ」と思っていた心を一転させるには十分なものだった。
「たまになら、子供の相手も悪くないな」と、誰かが呟いた。
 けれど。
 理由が未だ解っていないにしても、子供の姿でいるのは一時のことだろう。
 明日になれば、元に戻っているのかもしれない。
 それは喜ばしいことのはずなのに、不思議と少し、淋しかった。
 そんな空気が自然と流れ、誰からともなく全員で雑魚寝をすることになった。
 残り少ないと思われる時間を、少しでも長く過ごすために……。


 ――しかし、次の日になっても子供の姿のままで、  結局再び振り回されることになった一同が矢張り早く元の姿に戻ってくれと切望したのは言うまでもない――。


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