■春楡姫
「お前はまるで春楡姫のようだね」
「え? ハルニレヒメ?」
 ヒノエくんは時折、瞬時にはわからない事をひょんと言い出す。
 聞いた事の無い名称。
 “姫”と名のつくくらいだし、ヒノエくんが言うものならばきっと、悪いものではないのだろうけれど、釈然としないのもまた事実。
 其れはなぁに? って問い掛けてみたとしても直ぐに答えだけを教えてはくれない、それがヒノエくん。
「お前のような姫君のことだよ」
 ことも無げにヒノエくんはそう言ったけれど、其れは何時もの軽口みたいに思えて私は思わず黙り込む。
 誰にでも言うんでしょう。そんなこと。
「何拗ねてるんだ望美?」
「拗ねてなんかない」
 そう言ってそっぽを向いてから、しまったと思う。
 これじゃ本当に拗ねてるみたいだ。
 そんな私の機嫌を取ろうとするように、ヒノエくんは指に私の髪の毛を絡め、軽い口付けを落とし、直ぐに離した。
「怒らないで、オレの姫君。春楡姫っていうのは心が優しくて美しい女神の名だよ」
 ほら、まただ。
 私は白龍の神子と呼ばれていたって結局のところただの人間で、そんなご大層なものじゃない。
 そういう風に言われて嬉しくないわけがない。
 けれど、嬉しい嬉しいと喜んでばかりじゃ駄目なんだって思う。
「私、そんなに心が優しいわけじゃないし、美しいわけじゃないもの」
 何時も何時もヒノエくんがそんな風に私を褒めてくれるから、私はついつい勘違いしそうになるから。
 私が心が優しいとか、美しいとか……ヒノエくんが、本当に私のことを好きなのかもしれないということを。
 彼には私なんかよりずっとずーっと大切な、熊野という場所があるのに。
 何よりも熊野を愛しているヒノエくんは、きっと熊野以上に私を愛してくれることはないんだ。
 其れが解っていてすきになりかけている私もいる。
 馬鹿みたいだって思っても、悔しいって感じても、心だけは止まらない。
 だから、せめてもの反発はヒノエくんの言葉を否定することだけ。
 そうするとヒノエくんは少しばかり眉を寄せ、軽く溜め息をするようにして呟いた。
「望美は本当に自分のこと解ってないね」
 聞き分けの無い子どもを相手にするみたいに、少しだけ咎めるような口調。
 だけれど其処にはたっぷりの愛情が込められていて、ちっとも不快ではない。
「解ってないって、何のこと」
 其れを認めるのも癪で、つい強がってそんな風な反応。
「お前は本当に綺麗だし、心優しく、高貴に映る。……ほんと、閉じ込めたくなる位にオレはお前に魅了されてるんだよ」
 ズルイズルイズルイ。
 そんな風に言われてしまうと私はもう顔を赤くして俯くしか出来なくなってしまう。
 如何してこんな風にヒノエくんはすらすら言葉を紡ぐのだろう。
 如何してこんな風に私の心を惑わせるのだろう。
 たん、と軽い足取りでヒノエくんの背中が私の先を行く。
「嗚呼、ほら姫君。楡の木だよ。お前を見てからこの木を見ると、楡の木まで高貴に見えるから不思議だね」
 もう、反則だ。
 そんな風に嬉しそうに笑いながら私に話しかけて来るなんて。
 私がその笑顔に逆らえないって知っていて、おいで。と振り返りながら手を差し伸べてくるなんて。
「ずるいよ……」
 か細い声で呟いて、小さく小さく悪態を吐いて。
 馬鹿だ、って解っていながら、其れでも私はヒノエくんの手を取った。

楡の花言葉…高貴、愛国心など。
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