■生まれたばかりの想いと
「還内府殿」
 そう呼ぶと、苦笑と呼ばれるだろう表情をして、首を横に振った。
「俺はもう、ただの将臣だって」
 将臣殿。
 言われた通りに名を呼べば、何故か将臣殿の隣にいた「望美」が嬉しそうに笑った。
「なんだか嬉しいな……ずっと、還内府って聞くたびに苦しかったから」
 そう言って将臣殿に寄り添っているのだが、言っている意味が良く解らなかった。
 将臣殿の幼なじみらしい望美には、以前春の京で会ったことがあるように思う。
 将臣殿と一緒にいた者だ。
 その時、他に一緒に居た者たちはいないが、  おばあさまも望美を覚えていたから間違いはない。
「……の、望美、将臣殿、遊ぼう!」
 そんな胸のざわめきに気付かないふりをして、二人を誘った。
 人が死んでいく場所から離れた此処は浄土のように、幸せな場所。
 それだったら、今だったら、沢山のわがままがきっと許される。
 みんなきっと、子どもらしく振舞うことを願ってくれてる。
「おぉ。いいぜ。鬼ごっこでもすっか?」
 室内の遊びに留まらず将臣殿は何でも知っている。
「鬼ごっこは手加減されるからイヤだ。……そうだ! かくれんぼをしよう!」
「……ハイハイ。俺が鬼だろ。ほら、十数えてやるから早く隠れろ」
 何も言わずとも、諦めたように軽く肩を竦めながらかくれんぼの鬼になることを了承してくれる。
 私は、将臣殿が大好きだ。
「十じゃ足りないよ将臣くん、百数えて!」
 望美も乗り気なのか、軽やかに言ってのけ身を翻した。
「おい! お前何処まで遠くに隠れる気だよ!」
 軽い遣り取りは、その気安さから遠慮せずに言い合える仲だと言うことが知れる。
 ぼんやりと望美の走る後姿を眺めていたら、何時の間にか将臣殿が二十程数え終わっていて、慌てて  隠れ場所を探し始めた。
 ……こうやって、二人に遊んでもらうのは、本当に、本当に楽しかった。
 こんな風な楽しい毎日が、ずっと、ずっと続けば良いと思う程に。


 また二人に遊んでもらおうと、二人を探すように外に出て、辺りを見て回った。
 大抵二人は一緒に居て、楽しそうに話しているのに、今日は何故だか少しも見つからない。
「望美ー……将臣殿ー?」
 声を張り上げて呼んでみても返事はなくて、皆に聞いてみても見ていないと言われるだけ。
 そうして捜しているうちに、何時もでは行かぬような場所にまで足を運んでしまった。
 引き返そうか、と少しばかりの不安を抱きながらも道を進んで行く。
 がさりと草を掻き分け、視界一杯に広がった赤に、思わず目を見開いた。
「……わぁ」
 鮮やかで、艶やかな花。
 この地に来るまで見た事の無かった花に、感嘆の声は隠せない。
 ハイビスカスというのだと、望美が説明してくれた出来事を思い出した。
「……望美に似合いそうだ」
 あの淡い色の髪に、さぞかしこの赤は映えるだろう。
 手を伸ばし、そっと、ひとつだけをいただいた。
 手の中に大事に大事にしまい込み、元来た道を駆け戻って行く。
 きっと、ありがとうと笑ってくれるから。
 きっと、本当に喜んでくれるだろうから。
 息切れしても、苦しくても、ただ喜ぶ顔が見たくて懸命に駆けた。

 途中で二人を見かけたという者の言葉を聞き、まっすぐに教えてもらった場所へと急いだ。
 ―――其処で見た光景は、決して忘れることなんて、出来ないだろう。
「の……」
 二人の姿が微かに見え、呼びかけようとした言葉は、途中で止まってしまった。
 近づいた、いや、くっ付いていた、二人の顔。
 離れた時には、望美は幸せそうに笑っていた。
 ……今まで見た事もないような、大人びた、雰囲気を纏って。
 その時、ぎゅう、と締め付けられるように胸が痛み、ハイビスカスが手の中から地面へと零れ落ちてしまった。
 目の奥が熱くて、涙が零れ落ちそうになる。
 この遣る瀬無い気持ちは、仲間はずれにされているような気分になったから?
 ……ちがう。ちがう。これは、きっと……。
「…………」
 気付いたとしても、何も意味があるのだろうか。
 たとえどんなに想ったとしても、自分はただの子どもで、如何にもならない。
 こんな気持ち、気付きたくはなかった。
 恋という気持ちなんて、知りたくはなかった。
 ―――あの、自分達を守ってくれていた人に、……嫉妬など、したくなかった……。
 知ってしまった想いは消える事なく心に残り、罪悪感ばかりが込み上げる。
 消える事のない想いは、恩知らずな自分を罵り続ける。
 想いを消し去ることなんて出来ないが、彼の人に嫉妬しているだなんて、知られたくもない。
 そんな自分に出来る事は、ただひとつ。
 この想いを心の奥底に封じ込め、何でもない風に振舞うこと。

 視線を落とすと、落ちたハイビスカスがそのまま其処に残っていた。
 望美の髪に映えるだろうと思っていたモノ。
 変わらず鮮やかな色の花を、もう見ていたくはなくて、ぐしゃぐしゃに踏みつけた。
 花弁は散り、最早花の原型を留めていない。
 それでもその色は褪せる事無く、赤、赤……哀しい程の、赤。
 まるでそれは、色褪せぬ自分の想いを象徴しているように見えて、心が震えた。
 明日から――明日からは、きっと、今まで通り笑うから…今だけは、泣かせて欲しい。
 堪え切れそうもない嗚咽を、懸命に堪えようとしゃくりあげる。
 涙が止め処なく流れ、ぼろぼろに崩れ去ったハイビスカスの花に落ちる。
 濡れた赤はより一層鮮やかな色を放っていた―――。

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