■ぬるい温度
「九郎さんって、何だか鬼のように熱いお風呂とか好きそうですよね」
 切っ掛けは本当に些細な事。
 今年は本当に残暑が厳しく外を歩くだけで汗を掻く。
 家に戻ったら直ぐにシャワーを浴びよう。
 そんなことをつらつら考えながらの買物の帰り道、ふと荷物持ちとして隣を歩く九郎さんの姿を見て想ったことを言っただけ。
「鬼のようにだと?! 先生も熱い風呂がお好きなのか!」
 何故だか少し嬉しそうな顔をしている九郎さんを見ると、少し複雑な心中になる。
 先生とお揃いがそんなに嬉しいのだろうか。
「九郎さんって結構馬鹿ですよね。諺みたいなものですよ。実際に先生が熱いお風呂が好きかどうかなんて私も知りませんよ!」
 面白くなくてついついこんな物言いをしてしまう。
 そして次の瞬間にはしまった、と思うのだ。
 どうせまた、喧嘩になることは目に見えているんだもの。
「馬鹿とは何だ! 若しかしたら熱いお風呂がお好きかもしれんだろう! 第一熱い風呂は精神を鍛えるのにも良さそうな感じが……」
 其れを言うならば冷水の方が余程効きそうだとも思う。
 けれども言ってしまうとムキになって滝の水でも浴びてくるとか言い出しかねない怪しさが九郎さんにはある。
 こう思うと、未だに私は九郎さんの性格をいまいち掴めていないのかもしれない。
「でも疲れは取れないと思いますよ。体を清めたり休めたりするのに入るのに、疲れてどーするんですか」
 流石に此れには九郎さんも言葉に詰まったようで、う、と戸惑った顔をした。
「だからね、私は心地良いなあ、って思える温度でゆったり入るのが良いと思うんですけど、如何ですか? 今日とかもすっごい熱いですし、さらっと汗を流すべきですよ」
 ね? と小首を傾げて問い掛けてみると、九郎さんは少し顔を赤くして、視線を逸らし、言葉を紡ぎ出す。
「……しかし、将臣達の家は、常に熱い風呂なのだが……」
 少々歯切れが悪くなっているのは、恐らく誰かに風呂の温度調節をしてもらっているからだろう。
 誰よりも九郎さんは文明の利器に弱そうだ。
 見た事のないものばかりで水を足せば温くなる、という事まで頭が回っていないのではなかろうか。
 何だかとてつもなくじれったくて、私は荷物を持った九郎さんの腕をぐいと引っ張った。
「うわっ! の、望美?!」
「もー! 将臣くんの家じゃなくウチで入って行けば良いでしょう! 絶対今の季節は熱いのキツイですって!」
 口をあんぐりと開けて何か言いたげな九郎さんを無視して、私は殆ど無理矢理自宅へと連行した後に風呂場に九郎さんを押し込んだ。
「タオルとか此処に置いておきますね。……湯加減は如何ですか?」
 バシャ! と浴室の擦りガラスを隔ててけたたましい音が聞こえ、何でか良く解らないけれど九郎さんが動揺しているのが解る。
 暫しの沈黙の後、如何在っても答えない事には私は引き下がらないと気付いたのか、九郎さんの声がささやかに浴室に反響した。
「……ぬるい」
 其れが何だか子どもみたいな口振りに聞こえて、私は気付かれぬように小さく笑ったのだった。
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