■きみがすきです、そばにいて
 気になって、視線が行って。
 微笑まれて、胸がときめいて。
 貴方の優しさに翻弄されて。
 気付いた時には、そう。
 私は貴方の罠に落ちていた。

「――最初から、この心算だったんですか」
 言葉に幾分か棘があるのも仕方の無い事。
 弁慶さんのことは好きだけれど、罠に掛かった側としてみれば、良い気分では全然無い。
 ――明日になると、此の世界からさよならをする。
 最後の夜、こっそり家から抜け出して二人だけの静かな公園。錆びかけたブランコに腰を降ろして、傍に立つ弁慶さんを見ずに、私は自分の靴先を見た。
 明日になれば――。
 彼の生まれた世界へと、私は再び足を踏み入れる。
 貴方が好きだから、離れたくなかったから。
 だから、「帰る」と言った貴方について行きたいと私が口にしてしまうのは無理も無いこと。亜k  でも。
 この気持ちとか、決断とか、全てが弁慶さんの予想通りだというのなら話は別。
 ねぇ最初から全て仕組んでいた事だったの?
「人聞きが悪いですよ、望美さん。……僕が君を騙して、あちらの世界へ連れ帰ったとて、何の利益があるんですか?」
 優しく諭すような口振りに、言葉が詰まる。
 確かにあちらの世界のことを何も知らぬ私が戻ったとして、一体何の役に立つのか解らない。
 あるのは、ただ、弁慶さんが好きだという気持ちだけ。
 役立たずの私は、ついて行かない方が良いのだろうか、そう思うと胸が苦しくなり、私は俯いた。
 伸びた髪が頬に掛かり、其れが今はうざったい。
 弁慶さんはそんな私を気遣ってくれるように、身を屈め、そっと髪を掬い上げる。
 きっと私、今情けない顔をしてる。
 見られたくないっていう気持ちを察してくれているみたいに、弁慶さんは私の顔を覗き込む事はなかった。
「確かに、戦の終わったあの世界で、君の存在は“象徴”としては此の上無いものかもしれません」
 不意に弁慶さんが語りだした言葉に、身が強張った。
 力での支配は、反感を買う――だけれど、神格的なものが其処に加われば、抵抗は幾分か減るものだろう。
 けれど弁慶さんの口から聞くのはつらすぎた。
 利用価値があると、そういう風にしか見られないのかと思うと、心が凍りそうだった。
 動きが止まった私に気付き、弁慶さんの指が私の頬を辿る。
「でも、僕らは……戦が終われば、もう必要の無い人間なんですよ。いや、それ所か邪魔な存在になりかねない……」
 ――静かに語る姿が、逆に、恐ろしかった。
 其の通りだ。その通り、なのだ。
 史実とあの時空は違うと解っていても、似通っているのだから。
 恐らく、源頼朝は……。
「それなのに、帰るんですか……?解っているのに、弁慶さんは皆を帰らせるんですか……」
 声が震えた。責めているつもりはなかったが、如何してそんな危ないことをするのかと思ったことも事実。
 ゆっくりと顔を上げると、少しだけ悲しそうな顔をした弁慶さんの顔が見えた。
「あそこは、間違いなく……僕らが生まれた世界なんです。……戻ったら直ぐに、別の地に旅立つように準備させます。そんな、状況だから……君が、此処に残りたいと言っても、無理矢理に連れて行く権利は僕には無いんですよ……」
 もう、其れが優しさなのか何なのか、解らなかった。
「……君が、好きなんです。僕が君について来て欲しいと思うのは、そばにいて欲しいと思うのは、僕の我儘にしか過ぎません」
 真摯に響く其の言葉に嘘偽りがないことくらい、わかる。
 もう、策略でも何でも良い。ただ、私もそばにいたいと思った。
 泣きそうなくらいに好きで、バカバカしいくらいに、幼い感情。
 おいてかないで、はなれないで。
 だから私は、たったひとつの呪文を紡いだ。
 ――あなたがすきです、そばにいさせて……。

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