■きみを愛しいと、誰が言うのだろう
「弁慶さんは、帰って下さい」
小さく肩を震わせながら君が紡いだ言葉は、とても哀しく耳に届いた。
明日は皆が元の世界に戻る日で。
話があると夜に呼び出され、二人で海沿いの道を歩く。
僕の目の前にある立ち止まった君の背中が、何時もよりうんと小さく見えた。
「――君は、僕が傍に居ると迷惑、ですか?」
「いいえっ! ……いいえ、そうじゃ、ありません……」
勢い良く首を振り、否定をしてみせている。
だったら何故――と。
そう聞くには、僕はわかりすぎていたのかもしれない。
君の気持ちが…君の、考えが。
「僕が、君と離れるのが嫌だと言っても?」
卑怯な言い方だとはわかっている。
君の心を傷つけるだけで、君はきっと、意見を変えない。
……哀しい程に他者に慈悲深くて、切ないほどに強固な意志。
「……私、だって……本当は……」
君は残酷。
そんな風に涙を堪えた声で、振り返る事も出来ない様子で言葉を止められてしまったら、
僕はもう何も言えなくなってしまう。
「君はほんとうに、いけない人ですね……」
本当は抱きしめたかった。
けれどこの腕に掻き抱いてしまったら、もう二度と離せない。
それでも、最後の悪あがきのように夜風にふうわりと揺れる君の髪を一房、手に取った。
気付かれるかとも思ったけれど、君は気付かずに、ただ、ごめんなさい、と俯いたまま。
謝らないで下さい、なんて、言える程僕は御人好しにはなれなかった。
「――九郎達の事が、心配なのでしょう?」
月明かりに照らされた君の髪は透き通った綺麗な桜色。
くるりと指に絡めると少しだけ色が濃くなって、それもまた綺麗。
あのまま若し平家を討ち取ることが出来たとして、恐らく九郎は生かされはしないだろう。
否、和議が結ばれた今でも如何だろうか。
茶吉尼天が消滅したとは言え、景時の立場も微妙なものだから。
君はそれら全てを承知しているのだろう。
そして、その上で二人で生きることよりも、皆に生きて欲しいと、願ったのだと。
「こんな形で君と、離れる事になるなんて……」
君が嗚咽を堪えているのは良く伝わってくる。
彼らを決して殺させはしません、と…
君の髪を持ち上げ、誓いの意味を込め唇を押し当てた。
なかないで、そして、どうか僕をわすれないでください。
手を緩めるとするりと君の髪は僕の手を離れてしまった。
僕の手には何の名残も残されない。
残ったのは甘く苦い記憶だけ。
「……体が冷えてしまいましたね。……帰りましょうか」
何も言わず、ただ頷いてみせる君。
愛しいだなんてもう口に出してはいけない。
そばに居られる未来が存在するだなんてもう夢を見てはならない。
どんな御託も、もう何の意味もなさない。
二人の未来が重なり合うことは、もう二度とないのだから。
僕は君の最後の願いを聞き、尽力をつくし、そして果てるのだろう。
君はこの世界で君の幸せを掴み取るのだろう。
その時、君の隣に誰が寄り添っているのだろうか?
僕以外の誰が、君を愛しいと言うのだろう。
……僕以上に君を想う人だなんて、いる筈がないのに。
帰り道、僕は一度も君に触れなかったし、君の方すら見なかった。
いっそ殺してやりたいと思う程に君の事を想っていたから、ただ、前だけを見詰めていた。