■野原薊
「――ご命令、を…」
 心とは、何だろうか。
 意識ははっきりとしているのに、何も感じない。
 ……そうだ、恐らく此れを「何も感じない」と、そう言うのだろう。
 一人、花のような色の髪をした女性が、傍に居た気がした。
 しかし其れも、直ぐに気配を感じられなくなった。
 知って居たような、そんな人物だったような気がする。
 其の人の為だと、何かを決めたような気がする。
 ……無論其れを、覚えてなど居ない。
 其れを惜しいと感じる心は無い。
 何も感じない。
 何も感じる事が出来ない。
 ただ、手を握る温もりが消えた、それだけの事実を知覚する。
 鋭い光を放ち、光の収束と共に、温もりの主は姿を消した。
 詳しい事は解らないが、もう此処には居ないということだけは良く解った。
 今では虚ろな視界に入りこむのは、曖昧な白だけ。
 恐らく其れは雪だろう。
 時折、誰かが呼びかける声が聞こえる。
 責めるような声ではあるのだが、其れは決して“命令”ではない。
 命令以外の言葉は、聞く必要は無いと、何かが密やかに、密やかに囁き続けている。
 だから、其れ以外の言葉は、耳に入って来たとしても、其れがどんな言葉であるのだと理解をする前に全てが胡散するのだ。
 何か厚い膜に覆われたように、外界と隔たりがある。
 そういった認識だけは、ある。
「――?」
 不意に、白とは違う色が目に入った。
 其の色は、先程まで私の手を取っていた女性の髪の色に似ている。
 あれの名は、何であったか、頭の中の引き出しを探った。
 嗚呼、そうだ。
 あれは確か、野原薊という名であった。
 思い出した事に、何か感慨があるわけではなかった。
 だが、その色が、先程の女性と同じ色であったから。
 僅かに“記憶”の中に残されていた色であったから。
 鉛のように重い腕を伸ばし、野原薊を手折った。
 可憐な野の花――。
 手折った瞬間に、中の誰かが声を発したように、啼いた。
 一瞬、脳裏に誰かの面影が過ぎる。
 其れは泣き崩れるような、少女と呼んだとしても可笑しくはないような女性であった。
 その泣き顔を見ても、何も、感じない。
 そう、何も感じるわけがないのに。
 私の目尻から、つぅ、と一筋の雫が流れ落ちていた。
 此れの名は、紛うことがない。
 記憶から探そうとせずとも、瞬時に何であるのか解った。
 頬を伝い、顎から地面へと落ちる、この雫の名は……
 涙、であるのだと……。

 ――其れが、何を意味するのかなど心の無い私には解らなかったけれど。


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十六夜の銀ENDにたどり着く前にはこういった銀が居たような気がします(曖昧)
でもあのぶっ壊れた銀を置いて望美は運命を上書きするために時空を遡ったのだろうなあ、と思いつつ。
というわけで野原薊の花言葉は「権利」です。
心を失った銀にはきっと望美を引き止める権利は無いのかもしれないと。
望美ちゃんが責任感じるならば話は違ってきますが。