■アツモリソウ
図書館という場所の空気は嫌いではない。
調べ物がない時にでも、時折足を運んでいる。
そして、何時の頃からか。
私の隣には、神子が居るようになっていた――。
「私達の世界には、敦盛草っていう花があるんですよ」
そう言って神子が見せてくれた図鑑というものに、その花は載っていた。
ほっそりとした指が示した花は、花が大きくふっくらとしていて、美しかった。
「野生ランの王者、って言われてるらしいんです」
敦盛さんと同じ名前だったから、少し調べたんです。
そう至近距離で笑ってみせる神子の眼差しが面映くて、思わず視線を逸らしてしまう。
「…そんな花と、名前が一緒とは……少し、申し訳ないな……」
向かい側に座った神子が、小首を傾げる動作を目の端に捕らえる。
そして、ぐい、と身を乗り出したかと思うと目線を合わせるように私の顔を覗きこんできた。
「み、神子……?」
「違います」
きっぱりと主語もなく否定される。
一体何が違うのかと疑問符が頭に浮かぶばかり。
そんな私の様子に気付いたのか、神子は再度口を開いた。
「敦盛草は、敦盛さんが由来で付けられたらしいんですよ」
其れは、此方の世界の「平敦盛」で、自分ではないのだと解っている。
解ってはいたが、何故。と言う疑問がちらちらと頭を過ぎった。
「背負ってた矢を防ぐ鎧飾りの母衣に花弁を見たててつけたらしいんです、けど」
言って眉を顰め、しまったといった顔になる神子。
戦に関係するような事を言ってしまったからかと思い当たる。
こんな些細な発言にまで気を遣わせてしまい、心の底から申し訳ないと思う。
無論、文献を紐解いて行く内に此方の世界の平敦盛の事も知ってはいた。
成る程、図鑑の説明欄には熊谷草というものがあるとして書かれている。
熊谷次郎直実。
其の名を思い浮かべ、緩く目を瞑った。
「……ごめんなさい、敦盛さん」
そんな私の態度を如何受け取ってしまったのか、気落ちしたような神子が謝罪の言葉を告げる。
「嗚呼、すまない、神子。……少し、考え事をしていただけだ……」
小さくそう言うと、神子は良かった、と安心したように微笑んだのだった。
「この図鑑、結構色々な花が載っていて面白いんですよ。花言葉、とかも説明してくれてますし」
横書きの文字を読むのには未だ慣れない。
文字を目で追い、少しだけ考えてから意味を理解した。
そして、その文字を、神子が声に出して読んだのだ。
「君を、忘れない……」
その瞬間、何とも言い知れぬ感覚が胸に込み上げる。
…何時かこの身が朽ち果てようとも、神子は忘れずに居てくれるだろうか……?
言葉に出して聞くのは恐ろしくて、何も言えなくなってしまう。
「……み、神子……」
辛うじて搾り出した声に、神子は顔を上げ続きを促すように首を傾げてみせる。
「……もう一度、言ってくれないだろう、か……」
忘れない、と。
最初は不思議そうにしていた神子は、何も問わずに、ゆっくりと唇を開いてくれた。
「……君を……忘れない」
その言葉だけで、もう少し頑張れそうな気がした。
泣きたいような衝動に駆られながらも、懸命に堪え、笑みを作ってみせる。
「……有難う……」
震える唇から紡がれた言葉の意図を、神子はきっとわからない。
それでも私は、神子に礼を言わずにはいられなかった。
……私の願い。
神子に覚えていて欲しい。
若しもこの願いが叶うというのならば
――其れが、最期の願いとなっても叶わないから。
敦盛さんの8割は絶望と自虐で出来ていると良いと思います(愛故に)
アツモリソウの花言葉は文章内の通り、“君を忘れない”です。