揺ら揺らと燃える炎を視界に映し、其れでいて頭では別の事を考えて居る。
数多の悲鳴、剣の交わる音、血の臭い、死臭――。
確実にその場に蠢いている死の気配は心地良いものではなかった。其れが仮令敵と言えども。
……一の谷の奇襲は防げた。
知っていた歴史の通りに源氏が動いてくれて有難かった。矢張り此処は、基本的に己が知って居る歴史と同じ流れを辿っている。
だが……。
「……くそっ」
すっきりしない心情を外に出すのは良く無いことだと分かっている。
其れでも敵の兵の悲鳴が、死ぬ行く顔が脳裏から離れないのだ。
決めたこと……何を犠牲にしても、平家を守り行くと。
その決意は揺るがない。だが、心を締め付けるものも、確かに其処に存在する。
……先の戦に勝った喜びからか、平家の兵達は皆で祝杯を上げている。その喧騒は、少し離れた場所でも聞こえ来た。
心の奥底に複雑な思いを押し込めながら立ち上がると同時、気だるげな声が掛かった。
「兄上は戦の勝利を素直に喜べぬと見える……」
声の主は尋ねずとも分かっている。だがそれよりも、放たれた台詞に苦笑を隠せずにはいられなかった。
「知盛か。胸クソ悪ィ戦だ、当然だろ」
知盛の手には、酒と杯。顎を決り、再び座るように促してくる。
元より騒がしい場所へと足を踏み入れたくない心情があったが故に、逆らうこともせずに再びその場に腰を降ろす。すると隣に緩慢な動作で知盛も座り込んだ。
「――還内府殿は先見の目をお持ちだ……というのが、平家内で定説になりつつあると言うのは知っているか」
杯を手渡し、其れになみなみと透明な液体を注ぐ。下らないと一笑に伏せず、曖昧な笑みを浮かべることしかできない。
そんなものではないのだと言っても通用はしないだろう。だから、敢えて口には出さない。
「お前は如何思ってんだ、知盛。俺にそんな変な力があると思うか?」
杯に口を付けながら問いかけるのはほんの余興。ともすれば戯言にしかならぬ取り留めのない言葉の欠片。
ぐい、と酒を煽っての後、知盛は緩々と唇を開いた。
「さて、な。どちらでも構わんさ。……ただ、解るのはひとつ。……お前の言葉が無ければ、平家は負けていたと言う事だけ……」
相変わらず、戦以外に興味が無いような顔をして鋭い所がある男だ。否、冷静に物事を見ていると言うべきか。己が戦の渦中に居るにも関らず、まるで傍観者のように物事を言う節が知盛には、ある。
「何よりお前は俺を退屈させないからな……。愉しませてくれる内は、俺はお前に協力しよう……」
ゆるりと唇についた水滴を手の甲で拭うような仕草をする。
随分といい加減な言葉だと思うと同時に、頼もしい言葉だとも思う。戦において、この男以上に頼りになる者は正直今の平家には居ない。
「――頼りにしてるぜ」
さぁ、如何だか。
そう言うように銀髪の男は肩を竦めてみせる。成る程、中々喰えぬ男だと思う。
が、此れくらいが丁度良い。
口許を緩めると、互いに言葉も無く立ち上がる。そろそろ宴に混じらぬと人が探しに来るだろう。
「嗚呼、そうだ。有川……ひとつ、言っておこう」
ふと思い出したように知盛が言葉を発し、ゆるりと振り返る。口許に刻まれた笑みは深く、まるで酒か、月にでも酔っているかのようだった。
「お前が何を知っているのかは知らんが、敵に回ることはしてくれるなよ。……そうなったとしても斬るだけだが、な……。まぁ、精々“平家の者を守る為”に尽力してくれ」
クッ、と喉を鳴らすような歪な笑みを浮かべると、正面を向き、今度は振り返る事もなく一人緩やかに歩いて行く。
其の背を見送りながら、軽く前髪を掻き上げた。
「……言われなくても、そうするさ」
全く、何もかも見透かした風に言ってくれる。
思わず苦い笑みを零しながら、其れでも先程までの沈鬱な気分が一掃されていることに気付いた。
何だかんだ言いつつも信頼しているのだと思い知らされた気分だ。
――此の先、成そうとしている事は己しか知らない。
恐らく自分の行為は未来を変えているのと相違ない。其れがどんなに罪深い出来事であろうと、もう止める事は出来ないのだ。
「守ってみせる」
ただひとつ誓ったことは其れだけだ。
すっかり見えなくなってしまった知盛の背中を追うように、早足にその場を後にする。
……自分の成すべき事は、自分だけが知って居る。
それで良いのだと自分自身に言い聞かせながら……。
【企画部屋】