剣がこんなに重いと思ったのは初めてだった。

 初めて人を斬った時ですらこんな感覚に襲われた事はない。

 ましてや今回人を斬った後でも何でもなく、ただ人と剣を合わせたというだけ。

 ――幼馴染と、剣を。

「……」

 じっと、手に持った剣を見下ろす。

 此の剣と共に守ってきたものがある。この剣と共に背負ってきたものがある。

 守ろうと思って居た人物を、此の剣に背負う事になるのかもしれないというのか。

 平家一門を守ると決めた。

 だが今、迷いが無いと言えば嘘になる。

「くそっ」

 居ても立ってもいられず、己の剣を手に取り、俺は陣を抜け出した――。



 冷えた空気が胸を凍らせる。

 進む道は何故だか源氏の陣の方だ。

 危険かもしれないと解っていながら、若しや望美に逢えるのではないかと思うと歩みを止める事は出来ない。

「――?」

 さく、と雪を踏み締め歩みを進めていた時、其の先にひとつの影が垣間見えた。

 見間違える訳が無い――何年離れていたとて、其の姿だけは見紛う事などある筈無いのだ。

 此方に背を向けるように立っているのは、敵としての宿命を叩きつけられた幼馴染。

 望美も自分と同じように思い悩み、一人陣を抜けてきたのかと思ったが――その考えは直ぐに打ち消される。

 其の背には何の揺らぎも見受けられない。

 まるで俺と戦う事すら全て受け入れているかのように。

 ……俺はその背を見た瞬間、気配を殺しその背に向かい駆け出していた。

 迷いなど一切無い其の背を見た瞬間に感じたのは、怒りでも何でもなかった。

 感じたのは一種の安堵。

 嗚呼なんだお前も結局己の道を進むのか。

 ――気持ちが逸る。

 まるで俺に逢って別れを告げるのを待ち構えているようなお前の背に、俺は駆け始める。

 気付くだろうか、気付かないだろうか?

 手にぶら下げるように持った剣を、鞘ごと持ち上げる。

 極々間近に来て漸く其の背が気配に気付いたように緩く動いたが――其れでは既に間に合わない。

 ――ゴツッ!

 剣の鞘が小さな頭を強かに打ちつけ、か細い身体は躍るように雪の上に転がった。

 女の持っていた剣が宙に弧を描くように手放され、やがて持ち主の傍にと落ちる。

 だが剣の軌道を追うわけではない、視線はただ、雪に倒れこんだ幼馴染へと注いでいた。

 突然のことと余りの衝撃にか、望美の瞳は驚愕に見開かれる。

 だが其れも、ぱさりと後を追うように広がった春を思わせる色をした髪に隠されてしまう。

「……脳震盪でも起こしたのか?」

 まともに動けずに居る様子を見てそう判断したものの、流石は源氏の神子と言うべきか、震える手で自分と同じく雪の上に転がった剣を拾おうと手を伸ばす。

 無論其れを見逃す程に甘いわけではない。

 ガッ、と靴の底で剣を蹴り遠くへと飛ばし、決して其の手に渡らぬようにしておいた。

「……な、で……?」

 悲痛に満ちた声を聞いても、心揺さぶられる事は無かった。

 ――先に見限ったのはお前の方だろう?

 だから先に攻撃を仕掛けさせて貰った、其れだけだ。

 夜更けに一人無防備に出歩くほうが無警戒過ぎると言うもの。

 嗚呼お前が少しでも俺と戦うのを躊躇っている風であったのなら、俺は斯うはしなかっただろうに。

「大切だったからさ」

 愛しさ故に、手放したくないと思った。

 仮令其れがどんな形であろうとも。

 若し互いに生き残ったとて、お前が誰かの傍で幸せそうに微笑む未来など、在って欲しく無かったから。

 抜け出す前とは裏腹に、随分と軽くなったように感じる剣を構えゆるりと剣を抜く。

 無骨とも言える刀身が曝け出され、鈍い光を放っていた。

 甚振りたい訳ではない。だから、一瞬で終らせよう。

「将臣く……」

 持ち上げた剣を容赦なく心臓目掛け其の背中に突き刺すと、一度ビクンと痙攣した後望美は動かなくなった。

 ズ、と剣を引き抜き血に濡れた刃に指を滑らせてみると、何とも言えぬ程微細な熱を孕んでいる。

 もう俺の名を柔らかく呼んでくれる声は無いのだと考えると一抹の寂しさを覚えたが、其れよりももっと良いものを手に入れたのだ。

「――行くか、望美」

 此れからはもう離れる事は無い、引き裂かれる事は無いのだ。

 ぐ、と髪を引っ張ると、傷ひとつ付いていない綺麗な顔が窺える。

 其れに微笑みを向けながら、俺はその肢体を優しく抱き上げた。

 其の身体は未だ温かく、俺は触れたその先から火傷してしまうのではないかと思った程だ。







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