平清盛と一騎打ちをし、先生の姿は其れきり消えた。

 私にとって先生は尊敬の対象で。

 目の前にある大きな背中を追いかけたり、振り返ると其処にて、私を支えてくれるものだと信じてやまなかった。

 ――都合よく、最初の運命から目を逸らして。

 先生は何でも知っていたから。

 先生は、何でもひとりで抱え込んでしまったから。

 ……先生は。……だから。

「だから死んでしまったんですね……」

 私の口から低い声が漏れる。

 自分がこのような低い旋律を奏でることが出来るのだと、初めて知った。

 其れすらもぼんやりとした意識の中で、のことだけれど。

「私が強く成り過ぎたから? 私が、間違っていたの?」

 まるで気でも触れたかのように小さく、小さく呟き続ける。

 私に何が出来る? 私は、何をしたいの?

 先生は私に元の世界に帰ることを望んでいた。

 私が生きている事が望みであるように、先生は言っていた。

 けれど其れは本当に私にとって幸せな事?

 今こんなにも不幸せだと感じているのに、このままもとの世界に帰ったところで幸せになれると言うの?

 ――答えは否だ。

 此のまま帰っても多分明日も不幸せのままなんだろう。

 私は先生が好き。今更自覚するのは遅すぎると言うものだけれど。

 手が伸びる。

 胸元に輝く逆鱗に。

 仮令先生が其れを望んでいなかったとしても私は――。

「望美ッ!」

 叱責のように鋭い声で呼ばれたかと思うと、其の声の主に逆鱗が奪われていた。

 其れは唯一私を不幸せから解放してくれるモノかもしれないのに。

 憤りを込めて、逆鱗を奪った男を睨みつけた。

「九郎さん何をするんですか。其れは私のものです。返して下さい」

 頼んでいる筈なのに、声質は次第に高圧的なものへと変貌する。

 九郎さんの顔色も蒼白で、先生を悼む気持ちがありありと窺えるのに何故こんなことをするのか。

 す、と手を差し出すと、彼は逆鱗を返す事無く己の元へと引き止めた。

「先生から聞いている。――此れを使うつもりなのだろう。……だが、先生は、お前に“時空を繰り返す”ことを望んではいない」

 ――万が一の場合に、先生は九郎さんに言い残して行ったのだろうか。

 自分を見棄てろと宣言しているようなもの。

 其れを自分の弟子に、言い残して逝くだなんて。

 嗚呼。だとすれば何て残酷な仕打ち。

 でも、私は先生を助けたい。

「……其れで九郎さんは納得したんですか」

 男だからわかる事があるかもしれない。けれど私は女だからわからない。

 私は、納得なんか出来ないから。

「先生がそう望み、俺に言付けたからだ」

 如何して、貴方はそんなに素直に現実を受け入れられる……?

「九郎さんはっ!! 其れを私に強要するんですか!? 九郎さんが私の立場だったら助けたいとは思わないんですか……ッ!!」

 喉を潰すほどに叫んで見せても、九郎さんはただ心苦しそうな顔をするだけで決して逆鱗を返してくれようとはしない。

「――思わないわけが無いだろう! だがもう此処に先生は居ない、――居ないんだ!!」

 返される怒声は、いっそ泣き声と言って良い程だった。

 哀しくなんてない筈がない。

 私も、九郎さんも、――こんなにも、哀しんでいる。

「……うぁ……っ……」

 嗚咽が漏れるのを止められないままに、私は崩れ落ちた。

 私は身勝手で、自分の願いをかなえる為だけを考えて……こうして、人を傷つけて。

 それなのに、何故諦めないといけないの、なんて、……嗚呼、私は何処までも愚かだ。

 助ける術があるけれど、助けられるのは今切実に助けたいと思って居る先生ではないという矛盾。

 ――此れから続く明日は、きっと不幸せ以外の何でも無いんだ。

 そう思うと後から後から涙が零れ落ち、先生が居ない明日を、私はただ恨んだ。





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