「俺を差し出せと兄上はおっしゃっているのだろう。……一度は逃げた身だ、今更何の弁明も聞いては貰えぬのだろうな」

 諦めたような言葉が彼の口から漏れる。

 見た事も無い表情で、見た事もない口振りで、ただ、静かに彼は言う。

「とんだお笑い種だ――兄上は初めから俺を信頼してなどいなかったのだな」

 何時も真っ直ぐな人がこのような台詞を吐く時、瞳から光が消えるものなのだと私は初めて知った。

 信頼していた絆が目の前で両断されてしまった彼は、今一体何を思うのだろうか。

 全てを疑わないでと言いたい。

 貴方は一人ではないのだと伝えたい。

 もう誰も九郎さんを裏切ることはないのだと伝えたい。

「九郎さん、誤解は解けないかもしれませんけど、諦めちゃ駄目ですよ。平泉の人達も皆協力してくれるって言ってますし……」

 ――馬鹿だ、私は。

 此れでは何の慰めにもなっていない。

 兄弟で戦う事を勧めているようなものだ。

 罵倒されることを覚悟していたというのに、九郎さんはただ、無理矢理作ったような顔で微笑んでみせた。

「……気を遣わせてしまって悪かった。そうだな、俺には未だお前たちが居る。――巻き込んでしまった形になり、本当に悪かった」

 謝罪すらしてみせる九郎さんに、泣きたくなる。

 ねえ九郎さん、泣いて良いんですよ、悲しんでいいんですよ、怒っていいんですよ。

 私達の前でそんなに強がる必要はないんです。

「九郎、今更そんな事を言われても困ります。――僕達は覚悟してここまで君について来たんですから」

 ゆっくりとした口調で、其れでも強さを垣間見せながら弁慶さんは九郎さんに言った。

 九郎さんはそれに少しだけ困ったような顔をした後、「すまない」と声を洩らす。

 現状を嘆いたところで如何しようもない。

 既に運命は巡ってしまった。

 後は転がり始めた石を何とか止める方法を探るしかない。

「お前たちが居てくれて良かった」

 突然、そう言って九郎さんは笑った。

 以前と同じように何の曇りも無い笑顔で、真っ直ぐな瞳で。

 心配するまでも無かったのかもしれない。

 だって、九郎さんは今こうして笑ってくれているから。

 其れは皆も同じだったのだろう、張りつめた空気が和らいだ事を肌で感じる。

 だから。

「暫く一人にさせてくれないか。……少し気持ちに整理をつけさせてくれ」

 九郎さんの此の言葉に何の疑いも持たなかった。

 九郎さんは嘘が下手だから、前向きに笑う彼に嘘は無いと思ったから。

 だから、私達は

「嗚呼、望美」

 だから、私は

「? 何ですか? 九郎さん」

「お前の其の、髪を止めている物を貸してくれないか。……前髪が邪魔で仕方が無くてな」

 何の疑いもせずに――

「あはは、九郎さん髪の毛多いですもんね。いいですよ。貸すんじゃなくって、あげます。――はい」

 貴方を一人

「……すまない。感謝する」

 ――逝かせて、しまった――



 ……源九郎義経が自ら源氏軍の元へと進み出たと言うのは、其れから間も無くして知らされた。

 最期まで私達に危害を加えぬよう訴えかけながら、彼は処刑されたと言う。

 ――掌の中に、頑なに何かを握り締めたまま。

 彼が死した後、其の手を開かせようと幾人もが試みたそうだが、其の手は決して開かれる事は無かったと言う。

 九郎さんが其の手に何を握っていたのかは私にも解らない。

 ただ今でも彼のことを思う度、胸を焼くような悲しみが襲ってくるのだ――。





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