「ん? 何だこりゃ」
 何か用事がない限りは、登下校は常に二人一緒。今日だって何時もと変わらぬ帰宅の筈だった。
 突然上げられた声に、何かと思い下駄箱から靴を取り出そうとしていた将臣くんの方を見遣る。すると其処には白い封筒。
 ――其れはきっと、紛れもないラブレター。
「今時古風だなあ……。っつーか、誰だ此れ」
 感心したように声を洩らしつつ、手紙を引っくり返して確認した名前に見覚えがなかったのか軽く眉を顰め、軽く私にその名前を見せようとする。
「……あれ?」
 見覚えなんてないと思って覗き込んだのだけれど、何処か見た記憶がある文字の羅列に首を捻る。嗚呼、そうだ。此の人って……。
「知ってんのか?」
「知ってるも何も。この人三年生でしょ? 確か、すっごく可愛くて有名なひと」
 そんな人が何で将臣くんに? 心当たりでもあるのかと将臣くんを見遣ると、私と同様に首を捻っているばかり。
「そりゃ知ってる、けどなあ。話したこともねーぞ」
 訝しむのも当たり前かもしれない。でも、成る程。だったら手紙だというのも納得だ。相手は将臣くんの携帯のアドレスは知らないのだから。
 取り合えず何時までも下駄箱の前に留まっていても仕方がないと、入っていた手紙を手に持ったまま学校を出た。

「……で、何て書いてあったの?」
 道すがら手紙を広げでしげしげと見ている将臣くんの目線が最後まで行った後、私は首を傾げて問い掛けた。
 ご丁寧に手紙を元通りに折り、封筒の中に押し込んで行く。その表情は特別に嬉しいとか迷惑とか、そんな事をまるで考えていないものだった。
「まぁ、フツー? いきなりのお手紙ごめんなさい、から始まって、お前と付き合ってないって聞いたから若し良かったら付き合って欲しいって内容だ」
「何それ」
 如何して其処で自分が引き合いに出てくるのかと思わず眉間に皺を寄せたけれど、何時も一緒に居る異性、ということでそういう風に見えていても可笑しくなかったのかもしれない。
「それで、如何するの?」
 先程の様子からしてみれば、受け入れるとは思い難い。何より相手と話した事もないのだ、幾ら可愛いからと言ってもそういった相手の告白を受け入れる程将臣くんは軽くない……と、思いたい。
「悪ィ気はしねぇがな。付き合うとかっていう気にはならねぇ」
 其れが何よりの本音なのだろう、軽く肩を竦めてみせながら言い切った。
 そんな態度に、やっぱり将臣くんは変わらないなあ、なんて感じながらも、私は緩く微笑んだ。

 翌日、まるで昨日の手紙のことなんて忘れたみたいに二人並んで登校したが、校門まで辿り着いた時、厭でもそのことを思い出さなくてはいけなくなった――。
「有川君!」
 門に凭れるようにして立っていた小柄な女子が、通り過ぎかけていた私達……いや、将臣くんに声を掛ける。
 砂糖菓子で出来たみたいな甘い声の持ち主は、やっぱり外見だってふわふわしててとても可愛らしい。
 見た瞬間に、嗚呼、この人が将臣くんに手紙を送った人なのだと思った。
「あの、手紙……見てくれた?」
 小鳥みたいにちょん、と首を傾げて窺い立ててくる姿は女の眼から見ても凄く愛らしくて、どきどきしてしまう。
 ちらりと将臣くんを見てみると、満更でもないみたいで、少しだけ困った顔をして髪を掻いていた。
「あっ! 返事とか期待してるんじゃないの。いきなりだもん。知り合いでもなかったし……。だから、一緒に帰ったり出来たらなあ、って」
 駄目? と上目遣いに問い掛けてくる。
 そのお願いを断われる男は早々いないだろうと思いながらも、やっぱり幼馴染の友情だなんて異性が絡んだだけで御座なりにされてしまうものなのかも、と苦い気持ちが沸いてくる。
 嫉妬とかそういった感情ではなかったけれど、何だか結構面白く無い。
 けれど、そんな私の予想を良い意味で裏切るように、将臣くんは緩く首を横に振った。
「折角っすけど、何時もコイツと一緒に――」
 帰ってるんで。と続く筈だった其の言葉は続かない。
 既に彼女は短い制服のスカートを揺らし、踵を返した後だった。
「じゃ、帰り、待ってるから!」
 極上の笑顔を浮かべ、呼び止める間もなく校舎へと駆けて行くその背を呼び止める事も出来ず、私達はただその場に立ち尽くした。
「…………帰り、私別にしようか?」
 余りの展開について行けず、茫然となりながらも私の口からそんな台詞が出てきたのは、一重に将臣くんが私の事を忘れていなかったことにある。
 けれどもそうした気遣いは無用と言った風に将臣くんは軽く頭を振る。
「や。お前と帰るって言うぜ。今日日直だから教室で待っとけよ」
 人の話を聞かずに駆け出したあの人に少なからず呆れているのか、僅かに億劫さを滲ませ、将臣くんは呟いた。

 人気の無くなった教室。日誌を職員室に届けるだけなのに思いの他時間が掛かっているのは教員に呼び止められているからだろうか。
 日直の名前を書き換える事を忘れていた将臣くんの代わりにチョークを持って書き換えていると、教室の扉がガラリと開く音が聞こえた。
 漸く将臣くんが戻ってきたのかと振り返ると、其処には朝、将臣くんを呼び止めたあの人が立っている。
「あれ? 春日さん。有川くん知らない?」
 名前を知っていたのかと些かの驚きを隠せず、思わず一拍間を空けてしまったが、私はひとつ頷いてみせた。
「今日は日直だったんで……」
「じゃ、直ぐ戻ってくるわよね。此処で私も待ってよーっと。……春日さんは、帰っても良いのよ? んん、と言うか、帰って欲しいなぁ、なんて」
 返事を待たず、軽い足取りで校庭側の窓の方へと駆けて行く。随分と身勝手な言い方だと思う。
 可愛い人だと思って居たけれど、我儘な人だ。
「何でですか? 将臣くんは私と帰るって言ったんです。その私が先に帰ったら失礼でしょう」
 苦手意識が働いて、どんどん言葉尻がきついものになってしまう。一瞬、泣いてしまうだろうかとも思ったが、目の前の彼女はまるで気にした様子もなく拗ねたような表情を作ってみせた。
「気を使ってくれたって良いじゃない。私、有川君のこと好きなのよ。……あ、分かった。春日さん私に有川君取られるの嫌で追い返そうとしてるんでしょ? やだー。好きなら好きって言えば良いのにー」
 柔らかそうな唇に指を触れさせ軽やかに笑む姿は、私を嘲るようで気持ちがよくない。
「好きとかそういうのじゃありません。大体、貴方こそなんで将臣くんのこと好きとか言ってるんですか」
 気になっていたことだった。
 如何して話した事もない相手を好きになれるのかが、不思議だった。
「なんでって、有川くんカッコいいじゃない。三年の間でも人気あるんだよ? 其れに優しそうだしー、有川君みたいな人がカレシだったら自慢できるじゃない?」
 無邪気な笑顔。
 口から出てくるのも、まるで悪気のない言葉だったけれど。
 ――聞きたくなかった。
 ブランドのように将臣くんを扱って欲しくはなかった。
「……貴方は、全然将臣くんに相応しくないです。何も知らない癖に、将臣くんと付き合いたいだなんて、可笑しい」
 流石にこの発言にはムッと来たようで、目の前の人は眉を吊り上げる。
「何よ、取られるのが嫌なだけの癖に。可笑しいのは春日さんの方でしょ? 幼馴染なんかが口出ししないでよ。彼女でもないくせに」
「友達です!」
 何を考えるよりも先に、言葉が飛び出していた。
「ずっと前から、誰よりも一緒に居た、友達です。……友達が、不幸になるのを見ていられない、其れじゃ、駄目なんですか」
 嘘偽りない本気の言葉だったけれど、其れがどんな風に彼女に映ったのかは解らない。
 けれど、酷く不愉快そうな顔をされたのだけは見て取れた。
「馬鹿じゃないの。男女の間に友情なんて成立する筈ないじゃない」
 鼻白むように言い放たれた其の言葉に反論をする前に、首に、背中に、温かいものを感じた。
「そりゃー如何だかね」
「あ、有川君?!」
 温かいもの、其れは将臣くんの腕で、私の首を抱きこむようにして将臣くんは彼女を見遣る。
「悪いんスけど俺はまだダチとかコイツとかとつるんでる方が楽しいみたいなんで、手紙、なかった事にして貰えると嬉しいんスけど。……おい、望美、帰るぞ」
 きっぱりとした口調でそう言い切ると、将臣くんは私の手を掴み、荷物を持たせると教室を出て行く。
 背後から将臣くんを呼ぶ声が聞こえたけれど、将臣くんは一度も振り返らなかった――。
「ちょ、将臣くん、いいの?」
 そう私が問いかけると、階段を降りた所で私の手を離し、将臣くんはゆっくりと振り返った。
「いいも悪いもねぇだろ。俺は本心でああ言ったんだし、どーも合いそうもねぇし」
 それは私も思った。
 流石に其れは声に出さずに曖昧に笑みを浮かべるに留まったけれど、ひとつだけ、気にかかる事があった。
「……将臣くん、何時から居たの」
 余りにも良すぎるタイミング。見計らっていたようにしか思えなかった。
 案の定、視線は僅かに逸れ、少し言い難そうに将臣くんは口を開く。
「お前が、帰っていい、って言われたとこ辺り?」
「……それって殆ど最初じゃないのー! 何で早く出てこないのよ!」
 拳を振り上げ殴る素振りをしてみせると慌てたように謝罪を入れてくる。友達、とか言い切ってしまった自分が恥ずかしくて顔が赤面してしまったことが自分でもわかった。
「怒るなって! 何か入りにくかったんだよ。ああ、そうだ。此の間新作のゲーム買ったんだ。お前がやりたいって言ってたヤツ。……帰り寄ってやってくだろ? よし、決定!」
 すっかりヘソを曲げてしまった私のご機嫌を取るために懸命に語りかけてくる。
 その姿が何だか何時もの将臣くんだ、って安心して。
 私はご機嫌を取られたフリをして頷いてみせたのだった。

 ――男女の友情なんて成立しないとあの人は言ったけれど。
 私はそんな事無いと思う。
 だって、きっと愛とか恋とかそんなものよりずっと心地良くて、ずっと一緒に居たいと思うのだから。
 ……そのふたつを知りもしないけど、私はきっと、友情が何よりも素敵で美しいものなんだって思える。
 少し先を歩く将臣くんの後姿を見ながら、私は確信を持って大きく頷いた。
 此れから先どんなことがあっても、どんな風に関係が変わっても。互いを大切に思う気持ちだけは変わらない事を信じて――。



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