「鎌倉様のご命令だ! 追え、追えー!!」

 源氏の兵達の叫びが世界を震わす。

 其れを馬に跨りながら聞いていると、世界全てが敵になったのではないかと思うほどだ。

「――ごめんね、望美ちゃん」

 手綱を片手にそっと私を抱きこむようしてに景時さんは囁いた。

 あなたはなにもわるくない。

 揺れる馬上でそっと胸に頭を預けながら私は訴えかけた。

 すると彼は安心したように肩の力を抜き、私の身体から手を離すと手綱をしっかりと握る。

「飛ばすからしっかり捕まってて」

 了承を示すように私が深く頷くと、其れを合図としたように、景時さんは馬の速度を急激に上げた。

 ――夜明けは目前だった。



 景時さんが源頼朝を裏切った。

 其れはただ終始私達の味方をしてくれることを選んだだけのこと。

 だが、頼朝にとって此の行為は裏切りに他ならない。

 こんな運命もあるのだと、皆がずっと仲間のままで居られるのだとそう思った矢先の結末だった。

 其れでも私が今此処に残って居るのは、皆が未だ諦めていないから。

 ――景時さんと、想いを交わしているから。

「待て! 止まれ!!」

 馬の駆ける道の先に数名の兵が飛び出す。

 見た事の無い顔ばかりで、彼らが九郎さんの下については居なかった人ばかりであることが知れた。

 其れ故に、飛び出す事に躊躇が見られないのだろう。

「景時さん、此処は私に任せて馬を!」

 見たところによると、彼らは弓の類は持っていない。

 馬を狙われれば最後だと解るからこそ私は叫び、剣を構えた。

 景時さんは馬を操り其れを出来るだけ避ければ良い。

 ――そして私は。

「どいてッ!!」

 此方を止めようと勇んでいる兵たちを振り切るために、剣を振るう。

 ガキ、と此方に振るわれた剣を弾き返す。

 本来ならば男の剣を弾き返す事はもっと困難かもしれないが、今の私と彼らとでは覚悟が違っていた。

 此処で逃げ切らねば、私達に未来は無い。

 ばっと駆け抜けると道が開け、多くの兵達が待ち構えていたわけでは無い事を知った。

「皆は無事かな。……この調子で、オレたちも何とか逃げ切れるかな」

 皆ばらばらの道を行き、予め落ち合う場所を決めている。

 今私達二人が進んで居る道が最も危険とされていたが、何とか難関も切り抜けたように見えた。

「無事ですよきっと。そして、私達も大丈夫です。……きっと、生きられる」

 力づけるようにきっぱりと言い放つと、頭上で軽く笑うような気配がする。

 其れは力の無い笑いだったけれど、何故だか少し安心できるものだった。

「そうだね。……君が居てくれるから、オレもそう信じられる」

 風を切る音で景時さんが紡いだ声は聞こえにくかったけれど、其れでも、何と言ってくれたかは解る。

「――!!」

 不意に、景時さんが息を呑む音が聞こえた。

 其れは馬が駆ける為に起きる振動とは違う振動を感じた時と、ほぼ同時に。

「……景時さん?」

 振り返ろうと動いた私の視界が、不意に暗くなる。

「動いちゃ駄目だ、望美ちゃん……!」

 今迄は一心に手綱を握っていたと言うのに、突如景時さんは私を抱くように腕を回した。

 其れを狙ったかのようなタイミングで、景時さんの背が揺れる。

 ――出来る事ならば考えたくは無かった。

 だが、これは……。

「景時さん!!」

 矢が、私達に照準を定め放たれている。

 抱き込まれた事で私からは見えないが、この振動の数が矢が刺さった数だとするのならば、景時さんは既に十分の矢をその背に受けている筈だ。

 やめて、とそう叫びたいのに、景時さんは私を強く強く抱きしめ、私は窒息してしまいそうな程。

「――ごめん。やっぱり君をオレと一緒に来させるべきじゃなかったね。君を危険な目に合わせたのは、君を、手ばなせなかったオレの所為だ」

 そんなこといわないで。手ばなせなかったのは私の方。離れたくなかった、傍にいたかったのは私の方。

 そう言いたいのに声にならなくて、涙ばかりが溢れてくる。

「でも、君だけは絶対に死なせはしないから……」

 嬉しくないよ。そんな言葉は、ちっとも嬉しくない……。

「……君に出逢えて、良かったよ」

 哀しい程に優しいその声を最後に、景時さんは馬の腹に蹴りを入れ、がむしゃらに馬を駆け出させた。

 ――私はその胸にしがみ付くしか、出来なかった。



 どれ程馬を駆けさせただろうか。

 徐々に馬の速度が落ち、ゆっくりとした歩みになり、やがて、止まった。

 追っ手を振り切れたのか、最早攻撃の手は無かった。

 ――助かったのだ。

「景時さん、止まりましょう。一旦手当を……」

 無言のままでずっと馬を駆り続けてきた彼に、私はそっと声を掛けた。

 けれども、返事はない。

「……景時、さん?」

 声が、震える。

 大丈夫ですか、とその腕を揺すろうとすると、馬の手綱を握っていた手がするりと落ちた。

「景時さん……、景時さんッ!」

 呼び声に反応するように、彼の身体がずるりと傾き――馬上から落ちた。

 地面に横たわるように落ちた景時さんの背には、無数の矢が刺さっていた。

「……景時、さ……」

 彼は、私を生かす為に全ての矢を其の背に――。

「……ヤだ、いやだよ……」

 落ちるように馬上から降りた私は、景時さんの身体を揺さぶりに掛かる。

 うごいて、くれない。

「景時さん――!」

 あなたを手ばなせなかったのは、やっぱり私の方。

 あなたは私を手ばなして一人遠い場所へと行ってしまった。

 ねえ、どうして最期まで手ばなさずにいてくれなかったの?

 物言わぬあなたにそう問い掛けながら、私はただその胸に顔を埋め泣き続けたのだった――。






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