じっ、と。

 腹部を血で染めた男を見下ろした。

 黒い衣装を纏っている為にはっきりと赤い色を見ることは出来ないが、服の色をより濃くしているのだ。

「泰衡さん」

 既に死んだかとも思ったか、呼び掛けに反応したかのようにピクリと瞼を押し上げてみせた。

 何とか気丈に振る舞おうとしている気概はあるようだが、その実無理をしている事が露骨に解る。

 ――見送りに来ないと言った男が戻って来ないという報せを元の世界に帰る直前に受け捜しに来たらこのザマだ。

「誰にやられたんですか?」

 膝をつき傷の具合を見計らってみる。

 医者ではない為にはっきりとした事は言えないが――かなり危険な状態なのではないだろうか。

 人を呼びに行って間に合うか間に合わないか――その判断すらもし難い。

 どちらにせよこのまま放っておくわけにはいかない。

 そう思いきびすを返そうとした矢先、まるで私を呼び止めるようなうめき声が彼から洩らされた。

「……どうかしたんですか?」

 呼び止められた気がしたからって立ち止まるのはどうかしていたのかもしれない。

 もし本当に彼のことを考えていたのなら何を於いても助けを呼びに行くべきだ。

 そう自覚していながらも私は今ここにいる。

 彼の命を蔑ろにしているわけではなかったが、不思議と必ず生かさねばという気持ちもわかない。

 ――それは私と彼が険悪と呼ばれるまでの間柄だったからなのかもしれない。

「……を」

 掻き消えてしまいそうな声は私の耳に正しく届かない。

 訝し気な表情を作り彼の顔を見つめてみると、もう一度……はっきりとした声で言って見せた。

「剣を……構えろ」

「剣を?」

 確認をとるように聞いてみればそうだと言うように頷く。

 薄々とその理由を感じ取りながら私は剣の柄をとりその刀身を曝け出した。

「……これで自分を斬れ、と?」

 我ながらに冷淡な声であったと思う。

 だが彼にしてみればどうでも良いことなのか、はたまた気にする余裕もないのか傷口を押さえるようにしながら背を預けている木より、僅かにずり下がるだけ。

「そうだ。……首を、切り落とせ」

 理由を説明するわけでなく、ただ肯定するだけ。

 説明する必要など無いというわけか、はたまた説明するだけの余裕が残されていないのか。

 ――どちらにせよ、私は何故彼がそういったのかの大体の見当はついていたけれど。

「切った首は何処かに送りつけてやれば良い?」

 白龍の剣の刃はその形から見て断じて骨を断つのに向いているとは言えないだろう。

 だが其れでも神が与えてくれた剣だ、出来ぬことは無い。

「そうだ、な……。源氏方と言いたいところだが……父の、所へ」

 彼の父は今療養している。そんな所に送りつけて何と親不孝なことだろうか。

 ……親不孝なのは今に始まったことではなかっただろうが。

「其れは、同情を誘うには十分な場所だね」

「――察しが……良いな」

 私が手を下さずとも、じきに彼は息絶えるだろう。

 けれども其れでは駄目なのだ。

 誰が実際に彼を斬ったのかは解らないが――此れを、源頼朝勢がやったように見せねばならない。

 疑いの目が其方に向けば、同情や正義にかこつけて奥州のみならず頼朝に反感を持っている者が立ち上がるかもしれない。

 今回平泉は無事だったが――頼朝が再び攻めて来ぬとも限らないのだ。

 危険な目は、潰しておかなければならない。

「ただでは死なない男だよね」

 たっぷりの厭味とある種の親しみを込めて言ってやると、彼は少しだけ笑ったようだった。

「――頼朝が斃れるまで、私があなたの代わりに見届けてあげる」

 あなたの事は余り好きではなかったけれど、そう嫌いでもなかったから。

 返事を聞く前に私は剣の柄を握り締め、彼の首に照準を合わせ薙ぎ払った――。









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